日本歴史地名大系 「山三ヶ村」の解説
山三ヶ村
やまさんがむら
寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)に村名がみえ、高六石余。万治四年(一六六一)の延岡藩村高内検高覚でも同高で、内検高は七六石余。元禄五年(一六九二)の延岡藩領郷村高帳写(三浦家文書)では高六石余・出高七九石余、新田高一石余・新田出高一石余。延享四年(一七四七)の延岡藩領郷村高帳によると高八六石余(うち前々より改出高七九石余)・新田高四石余(うち前々より改出高二石余)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報