山三ヶ村(読み)やまさんがむら

日本歴史地名大系 「山三ヶ村」の解説

山三ヶ村
やまさんがむら

[現在地名]西郷村山三ヶ、南郷なんごう村山三ヶ

小原おばる村の西に位置し、南は水清谷みずしだに村・御門みかど村・鬼神野きじの(現南郷村)、西は松尾まつお(現椎葉村)、北は耳川を境に家代えしろ(現諸塚村)。天正五年(一五七七)島津軍が伊東氏の本拠都於郡とのこおり(現西都市)に迫るなか、伊東義祐は大友氏を頼って豊後へ落ちることを決意する。義祐は同年一二月一六日に俣江またえはる(現南郷村)から当村に入り中八重なかばえで一泊し、一七日に高知尾たかちお内の塚原つかばる(現諸塚村)へ向かっている(年月日未詳「山田宗昌覚書」山田文書)

寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)に村名がみえ、高六石余。万治四年(一六六一)の延岡藩村高内検高覚でも同高で、内検高は七六石余。元禄五年(一六九二)の延岡藩領郷村高帳写(三浦家文書)では高六石余・出高七九石余、新田高一石余・新田出高一石余。延享四年(一七四七)の延岡藩領郷村高帳によると高八六石余(うち前々より改出高七九石余)・新田高四石余(うち前々より改出高二石余)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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