山上庄(読み)やまのうえのしよう

日本歴史地名大系 「山上庄」の解説

山上庄
やまのうえのしよう

平安時代末期よりみえる庄園で、加茂郡のうち。山之上やまのうえ町を遺称地とする。保元元年(一一五六)の藤原忠通書状案(天理図書館所蔵文書)に「山上美乃国」とある。「執政所抄」に、法性寺修二月会の餅三〇〇枚を貢進する庄園の一つとして当庄がある。建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)に「京極殿領内」、すなわち藤原師実に由来する庄園の一つとして当庄があげられる。庄務権が近衛家にない庄園で、領家職は「知足院尼上」がもっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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