日本歴史地名大系 「山家庄」の解説 山家庄やまえのしよう 福岡県:筑紫野市山家村山家庄現筑紫野市域北東部の山家に比定される庄園。立庄の時期、領主等については不明。康正二年(一四五六)とみられる一一月七日の筑前国夜須郡段銭注文(三浦家文書/大日本古文書一四)に砧綿右馬允・杉次郎給分の山家庄がみえ、同年秋には一三貫二〇〇文の段銭を送進している。当時は夜須(やす)郡に属していたとみられる。文明一〇年(一四七八)一〇月一三日付の一連の大内政弘下文(正任記)では、砧綿右馬允跡の山家庄は仲間盛秀・深野重親・品川清実ら八名にそれぞれ五町ずつ宛行われており、砧綿氏の給分は少なくとも四〇町はあった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by