紫野市(読み)ちくしのし

日本歴史地名大系 「紫野市」の解説

紫野市
ちくしのし

面積:八七・七三平方キロ

県中央部西寄りにあり、市域は北東から南西に長く延びる。東から三郡さんぐん山地、西から背振せふり山地の山々が迫り、その間に幅一二〇〇―五〇〇メートルの二日市ふつかいち低地帯(二日市地峡、筑紫地峡)とよばれる狭長な平野部が南北に走る。河川もここを分水嶺として、博多湾に注ぐ御笠みかさ川水系と、有明海に注ぐ筑後川支流宝満ほうまん川水系に分れる。北部を御笠川支流鷺田さぎた川が北西へ流れ、南西流したのち南東へ向きを転じて流れる宝満川には山口やまぐち川・宝珠ほうじゆ川・山家やまえ川などが注ぐ。北は太宰府市・大野城市、東は嘉穂かほ筑穂ちくほ町・朝倉あさくら夜須やす町、南は小郡市・佐賀県三養基みやき基山きやま町、西は筑紫ちくし那珂川なかがわ町に接する。北境には愛嶽おだけ(四三二メートル)宝満山(八二九メートル)頭巾ずきん(九〇一メートル)、北東境には大根地おおねち(六五二メートル)砥上とかみ(四九六・五メートル)、南西境には権現ごんげん(六二六・二メートル)があり、宝満川と山家川に挟まれて宮地みやじ(三三八・九メートル)、北西部に天拝てんぱい山がある。平野部を北西から南東にJR鹿児島本線が通り、同線原田はるだ駅からはJR筑豊本線が分岐し、ほぼ山家川に沿って北東へ向かう。JR鹿児島本線北側をほぼ並行して西鉄天神大牟田てんじんおおむた線が通る。平野部南側を九州縦貫自動車道がほぼ南北に走り、古賀こが地区には筑紫野インターチェンジが設けられている。基山町から古賀地区までは鳥栖筑紫野有料道路が北上している。またJR鹿児島本線東側を国道三号が走り、国道三号からは国道二〇〇号、冷水ひやみず有料道路が北東に分岐し、JR筑豊本線に沿って夜須町へ抜けている。

〔原始・古代〕

平野部や丘陵縁辺には阿蘇4火砕流堆積物の台地が残り、遺跡はこの部分や平野部に接する丘陵に濃密に分布する。旧石器時代の遺跡はいずれも後期のもので、昭和四五年(一九七〇)から発掘調査された野黒坂のぐろざか遺跡や同四八年に発掘調査された峠山とうげやま遺跡は県下の旧石器時代の遺跡発掘の先駆けとなった。また市の南端に位置する宗原そうばる遺跡はナイフ形石器段階の一つの生活様相のあり方を示す遺跡として注目されている。縄文時代の遺跡も市内各所でみられるが、その大半は弥生時代以降の開発で削平を受ける。そのなかでもはるの原遺跡は押型文土器を主体とし、石組炉や落し穴状遺構が発見され、草創期の柏原式土器も出土している。阿志岐あしきシメノグチ遺跡では晩期黒川式期の住居跡が出ている。弥生時代になると丘陵部を中心に遺跡が分布し、なかでも市南部から小郡市にかけて八手状に延びる三国みくに丘陵やその周辺に弥生時代から古墳時代にかけての大規模な遺跡群がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報