山田日真(読み)ヤマダ ニッシン

20世紀日本人名事典 「山田日真」の解説

山田 日真
ヤマダ ニッシン

明治〜昭和期の僧侶 日蓮宗管長。



生年
明治7年7月19日(1874年)

没年
昭和41(1966)年11月21日

出生地
福井県

経歴
明治15年妙弓寺田畑恵善の室に入り、16年得度、17年武生市一乗寺に移る。20年大野市妙典寺上木日令に本化を学び、23年師に従い大道妙泰寺に。24年大阪良政寺関本竜門の会に参じ、2年後静岡貞松檀林。27年近衛歩兵第1連隊入隊。28年八王子本立寺及川真能に入門。大正12年平賀本土寺住職。昭和6年日蓮宗宗会特選議員、11年宗会議員、本山議員、17年宗務総監、18年京都大本山妙願寺住職。戦後同宗宗機顧問となり、28年大僧正、34年管長となる。また免因保漢事業の東京慈済会を設け、立正診療所長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田日真」の解説

山田日真 やまだ-にっしん

1874-1966 明治-昭和時代の僧。
明治7年7月19日生まれ。及川真能らにまなび,大正12年千葉県平賀(松戸市)の本土寺住持となる。宗務総監,京都の大本山妙顕寺住持をへて,昭和34年日蓮宗管長。大僧正。東京慈済会をおこし,社会福祉事業にもつくした。昭和41年11月21日死去。92歳。福井県出身。号は本覚院

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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