山田耕雲(読み)ヤマダ コウウン

20世紀日本人名事典 「山田耕雲」の解説

山田 耕雲
ヤマダ コウウン

明治〜昭和期の日本画家 帝展委員。



生年
明治11(1878)年6月3日

没年
昭和31(1956)年

出生地
京都府

本名
山田 伊三郎

主な受賞名〔年〕
全国絵画共進会褒状(第2回)〔明治32年〕,文展褒状(第8回)〔昭和3年〕「鴻」,文展褒状(第9回)〔昭和4年〕「葡萄

経歴
明治28年四条派の日本画家菊池芳文に入門。30年京都の青年画家たちによって結成された後素青年会に参加。32年第2回全国絵画共進会で褒状を受けて以来、内国勧業博覧会や新古美術展などで数多くの賞を受けた。また、41年「銀杏」で文展に初入選してからは同展を中心に活動し、大正3年の第8回展と4年の第9回展で連続して褒状を獲得。この間、42年には師・芳文ともにオランダに赴き、約3年に渡ってハーグ平和殿の装飾壁掛図の下絵を手がけている。8年に帝展が開設されると、その第1回展から出品し、15年には同展委員となった。その後、聖徳太子奉讃美術展や新文展で活躍。作品は他に「軍鶏」「鴻」「葡萄」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田耕雲」の解説

山田耕雲 やまだ-こううん

1878-1956 明治-昭和時代の日本画家。
明治11年6月3日生まれ。菊池芳文にまなぶ。明治30年京都の後素(こうそ)青年会に参加し,同会展や全国絵画共進会,内国勧業博覧会などで受賞。41年文展に初入選,大正15年帝展委員。昭和31年死去。78歳。京都出身。本名は伊三郎。作品に「鴻」「葡萄」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android