内国勧業博覧会(読み)ないこくかんぎょうはくらんかい

精選版 日本国語大辞典 「内国勧業博覧会」の意味・読み・例文・類語

ないこく‐かんぎょうはくらんかい‥クヮンゲフハクランクヮイ【内国勧業博覧会】

  1. 〘 名詞 〙 明治政府が、殖産興業政策一環として開催した国内生産物の博覧会。明治一〇年(一八七七)東京上野公園で開かれたのが最初。同三六年大阪で開かれた第五回で終了

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改訂新版 世界大百科事典 「内国勧業博覧会」の意味・わかりやすい解説

内国勧業博覧会 (ないこくかんぎょうはくらんかい)

明治政府が殖産興業政策の一環として開催した博覧会。1877年(明治10)に第1回を,次いで81年,90年,95年,1903年と計5回開催した。そのうち第3回までは東京,第4回は京都,第5回は大阪が会場になった。ウィーンフィラデルフィアなど海外の万国博覧会への参加の経験は,政府や識者に産業振興への博覧会の効用を教え,内務卿大久保利通が建議して開催の運びとなった。農商務省が主管し,出品は天産人工の全般にわたったが,これに日本画,洋画彫刻,工芸も加わり,政府は制作費を補助して出品を勧奨した。輸出に有望と考えられたのである。5回の間に菊池容斎柴田是真橋本雅邦,竹内栖鳳,上村松園,高村光雲高橋由一五姓田義松原田直次郎らが受賞した。また第4回開催の際,審査官黒田清輝出品の《朝妝(ちようしよう)》をめぐり裸体画取締り問題が起こり,論議を呼んだ。
勧業博覧会
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百科事典マイペディア 「内国勧業博覧会」の意味・わかりやすい解説

内国勧業博覧会【ないこくかんぎょうはくらんかい】

明治政府の殖産興業政策の一つとして開かれた内国物産,美術・工芸品の博覧会。1877年,1881年,1890年東京上野公園,1895年京都,1903年大阪で開催。農産物,工芸品,機械類等を出品。回を重ねるごとに盛んになり共進会とともに産業技術の発達を促した。→博覧会
→関連項目上村松園勧工場橋本雅邦米原雲海

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「内国勧業博覧会」の解説

内国勧業博覧会
ないこくかんぎょうはくらんかい

殖産興業の目的で内務省,のち農商務省が主催。明治期に5回開催。第1回はウィーン万国博覧会をモデルとして1877年(明治10)開催。審査・授賞の対象となる一般出品のほか,官営工場の最新式機械なども出品され,来観者45万余人を数えた。81年に第2回,90年に第3回が開催され,第4回は前3回の会場の東京上野を離れて95年京都,第5回は1903年大阪。この間出品点数と縦覧者は増加し続け,第5回には530万余人が訪れた。新製品や質の高い品を展示して参観者を啓発し,また審査・奨励する形式は共進会などのモデルとなり,その機能は各種の連合共進会や単発の博覧会に引き継がれた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「内国勧業博覧会」の解説

内国勧業博覧会
ないこくかんぎょうはくらんかい

明治時代に開かれた国内物産の博覧会
政府の殖産興業政策の一環として行われ,1877年第1回を東京上野公園で開催。1903年大阪の第5回まで,開催のたびに機械類が増加し,共進会とともに産業技術の発達を促した。

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世界大百科事典(旧版)内の内国勧業博覧会の言及

【勧業博覧会】より

…明治政府が殖産興業の一環として行った官営事業の一つ。1873年の内務省設置以後,政府の工業化政策の重点が官業から民業の育成へ移り,アメリカ,フランス,オーストラリアなど海外の博覧会への参加や,内国勧業博覧会の開催(1877年第1回,81年第2回,90年第3回,いずれも上野公園,95年第4回京都,1903年第5回大阪)が相次いで行われた。そしてこれに刺激されて愛知県博覧会(1878),三重県博覧会(1880),宮城県博覧会(1880),京都府博覧会(1882‐83)などが相次いで開催され,84年には2府5県で13件,85年には2府6県で9件の博覧会が開催された。…

【工芸】より

…その早い例は1870年(明治3)の工部省関係の記録にみられ,その意味は西洋の古い時代と同様,まだ美術や工業と未分化で,人工的工作物すべてのことを意味していた。美術という言葉は新造語で,明治初年より使われていたが,実際にはその概念はあいまいで,たとえば第1回内国勧業博覧会(1877)には,陶磁器や漆器がその製造技術の精粗によって,〈製品〉の区と〈美術〉の区とに分けて出品されていた。これらは西洋の概念を移植したときにみられる初期的混乱であった。…

【博覧会】より


[日本の博覧会]
 日本で開催された博覧会としては1872年(明治5)政府が東京の湯島聖堂大成殿において,文部省博物局に収集してあった各地の物産を一般に公開したのが最初とされる。77年には東京の上野公園で第1回内国勧業博覧会が開かれ,その後,内国勧業博覧会は81年,90年,95年,1903年と開催された。全国博覧会はその後開かれず,地方博覧会が各地で盛んとなった。…

【美術展覧会】より

…日本画では,85年鑑画会第1回大会に新画を展示したのが早い例とされる。さて77年の第1回内国勧業博覧会で菊池容斎,滝和亭,高村光雲,五姓田義松,高橋由一らが受賞し,81年の第2回博覧会にも河鍋暁斎や滝和亭らと並んで洋画の高橋由一が受賞しているが,おりから国粋主義による洋風美術の排斥運動が勢いを強め,82年と84年に農商務省が主催した内国絵画共進会には,洋画の出品は許されなかった。その後,明治美術会や白馬会の展覧会,日本絵画協会の共進会などが定期的に開催されたが,1907年に文部省美術展覧会(文展)が開設されると,これが美術界の一つの大きな中心となり,第2次世界大戦後の日本美術展覧会(日展)までつながることになる。…

※「内国勧業博覧会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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