山辺郷
やまのべごう
「和名抄」所載の郷。諸本とも訓を欠く。現東村山郡山辺町山辺を遺称地とし、同町から現同郡中山町方面にわたる山形盆地西部、須川西辺の地域に比定される。山辺町大寺地区には日本海側最北の前方後円墳坊主窪古墳群一号墳があり、根際・北作地区にも終末期の古墳群がある。
山辺郷
やまのべごう
「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。「大和志」は「已廃存佐保法華寺二村」として現奈良市法華寺町付近に比定。欠年の勘籍歴名(正倉院文書)に「大倭国添上郡山君郷」、宝亀四年(七七三)の山辺千足月借銭解(同文書)に「添上郡在山公郷」とみえる山君郷・山公郷と同一とする説もある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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