日本歴史地名大系 「岡本新田」の解説 岡本新田おかもとしんでん 栃木県:河内郡河内町岡本新田[現在地名]河内町東岡本(ひがしおかもと)西から南は中岡本村に境する鬼怒川西岸に位置し、もとは中岡本村と鬼怒川に挟まれた荒蕪地であった。安政二年(一八五五)宇都宮城下の菊池孝兵衛が宇都宮藩と協力して新田開発を開始、この頃中岡本村と宝積寺(ほうしやくじ)村(現塩谷郡高根沢町)の間にあったので「宝岡村」ともよばれたが、一般には開発者の名を冠し「孝兵衛新田」または佐野屋孝兵衛を略して「佐孝新田」と称した(駐馬記)。孝兵衛は、観専(かんせん)寺(現宇都宮市)黙雷の協力を得て新百姓を募り、加賀国一六人、越後国一人、播磨国三人、因幡国四人、宝積寺村本田より五人の計二九人の入植者を得て鍬下しが行われた(新田開発取立百姓人別住居誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by