日本歴史地名大系 「宇都宮城下」の解説
宇都宮城下
うつのみやじようか
〔町の成立〕
宇都宮氏の祖藤原宗円が平安末期に居館を構えたことに始まったと思われる。中世の館は近世の宇都宮城の三の丸の範囲までで、ほぼ二町四方の広さと思われる。館の真北に宇都宮大明神があり、馬場道で直結していた。宇都宮弘安式条第五六条に「町屋不入許在家拝領輩事」とあり、町屋があり、地子を収めていたことがわかる。戦国時代には田川と館の間を奥州街道(鎌倉街道)が通っていたといわれる。慶長三年蒲生秀行が宇都宮に入り、宇都宮城を修築し、城下の出入口として
元和五年(一六一九)本多正純が宇都宮城主となり、城下町の整備にとりかかった。従来の城下を通る街道は、栃木方面からの入口が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報