日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩垣東園」の意味・わかりやすい解説
岩垣東園
いわがきとうえん
(1774―1849)
江戸末期の儒学者。名は松苗、初名は維光、字(あざな)は長等。東園また謙亭と号した。京都の儒学者西尾杏庵(にしおきょうあん)の子で、のち岩垣竜渓(りょうけい)(1741―1808)の養子となった。古註(こちゅう)学派の伏原宣光(ふしはらのぶみつ)(1750―1828)に儒学を学び、また国史にもよく通じた。養父竜渓の後を継いで大舎人助(おおとねりすけ)に任ぜられ、大学音博士(はかせ)にも兼ね任ぜられて、従(じゅ)五位上となった。遵古堂(じゅんこどう)で門下生の教育にあたった。その著『国史略』5巻は、建国から豊臣(とよとみ)氏の全国統一までを叙述したもので、1826年(文政9)に刊行され、その後明治初年まで広く読まれた。同書を国史教科書として用いた藩校も多かった。詩文もよくし、『東園百絶』『続東園百絶』がそれぞれ1827年と1828年に刊行されている。
[玉懸博之 2016年4月18日]