岩見構村(読み)いわみがまえむら

日本歴史地名大系 「岩見構村」の解説

岩見構村
いわみがまえむら

[現在地名]太子町岩見構

船代ふなだい村の南に位置し、西は林田はやしだ川で限られる。構村とも称する。天正一五年(一五八七)九月二四日の豊臣秀吉知行方目録(木下家文書)によると「かまへ村」高一〇〇石余が木下家定に、文禄四年(一五九五)八月二一日の豊臣秀吉知行方目録(島津家文書)では「いわミの内かまへ村内」高四三三石余が島津義弘に与えられている。慶長国絵図に「岡前村」と記されるのが当村のことと思われる。慶長一八年(一六一三)の揖東郡村々高覚(三木家文書)によると、同一三年の高六六〇石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む