戦国時代~江戸初期の武将。天文(てんぶん)4年7月23日生まれ。父は島津貴久(たかひさ)。義久(よしひさ)の弟。1554年(天文23)蒲生(かもう)氏との合戦に初陣し軍功、大隅(おおすみ)岩剣(いわつるぎ)城の城番となり、続いて日向(ひゅうが)飫肥(おび)城、飯野(いいの)城と前線の城番をした。三山(さんのやま)城攻め、馬越(まごし)城攻め、本地原(ほんちばる)合戦、1572年(元亀3)の木崎原(きざきばる)合戦などで活躍し、九州征覇の合戦でも高(たか)城で大友軍を壊滅させ(耳川の戦い)、水俣(みなまた)城、岡(おか)城、堀切城攻めで連戦連勝したが、1587年(天正15)豊臣(とよとみ)秀吉に敗れ、降伏し大隅国を安堵(あんど)された。文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役で泗川(しせん)合戦の軍功があり、関ヶ原の戦いでは西軍にくみし敗れたが、敵陣縦断突破で知られている。1587年に兄義久の後を受け家督を継いだとされているが、史料では家督を継いでいない。敵味方戦没者の六地蔵塔の建設、朝鮮からの陶工の招来、千利休(せんのりきゅう)からの茶道伝授でも有名。生涯52回の軍功という猛将。元和(げんな)5年7月21日没。85歳。墓は鹿児島市の福昌寺(ふくしょうじ)墓地にある。
[三木 靖]
『三木靖編『島津義弘のすべて』(1986・新人物往来社)』
(福島金治)
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戦国時代の武将。戦国大名島津貴久の次男。初め忠平,号は惟新。法名松齢。1554年(天文23)大隅岩剣(いわつるぎ)城攻めの初陣以後,もっぱら島津氏戦国領国拡大合戦の前線にあり,朝鮮泗川の戦,関ヶ原の戦での敵中突破など多数の武功がある。近世島津藩では兄義久のあとを襲い1587年(天正15)より島津家17代の家督にあったとされている。朝鮮より陶工を連れ帰り薩摩焼を生み出した。
執筆者:三木 靖
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1535.7.23~1619.7.21
織豊期~江戸初期の武将。島津家17代当主。薩摩国生れ。島津貴久の次男。幼名又四郎,初名忠平。兵庫頭。惟新斎と号す。1585年(天正13)兄義久の守護代となり九州統一を進めたが,87年4月豊臣秀長に降伏。92~98年(文禄元~慶長3)朝鮮に出陣し,勇名をはせた。1600年の関ケ原の戦で西軍に加わったが,改易を免れた。
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…その後島津氏は日向,さらにすすんで肥後,肥前,豊後,筑後など北九州まで兵を進めたが,87年の豊臣秀吉の九州入り,島津攻めにより降伏。大隅の地は大半が島津義弘に安堵されたが,肝付一郡は伊集院忠棟(幸侃)に与えられた。94年(文禄3)には太閤検地が実施され,大隅国は17万557石余と算出され,うち加治木1万石は太閤蔵入分,曾於郡清水の内曾小川村ほか6328石余が石田三成分,肝付郡内岩広村ほか3005石余は細川幽斎分とされ,他は島津義久・義弘の蔵入分,それに伊集院忠棟(末吉ほか),島津以久(種子島,恵良部島,屋久島)知行分となった。…
…鹿児島県の各地で焼かれた陶磁器の総称。桃山時代,文禄・慶長の役の際,領主島津義弘は朝鮮より多くの陶工を連れ帰った。その一人金海(星山仲次)が,姶良(あいら)郡の帖佐宇都に窯をきずいたのが始まりと伝える。…
…鎌倉時代から江戸時代まで南九州を領有した有力な大名。惟宗姓。のち藤原姓から源姓を名のるに至る。系図では初代忠久を源頼朝庶子,惟宗広言養子とするが,近衛家家司惟宗氏の出で京都から鎌倉に移り頼朝より厚遇をうけたものであろう。1185年(文治1)島津荘下司となり,翌年地頭に補任され,97年(建久8)には薩摩・大隅両国の家人奉行人(守護)に任命された。日向国についても同様であったらしい。1203年(建仁3)比企氏の乱で三国の守護・地頭職を失ったが,薩摩分のみはまもなく回復した。…
…1609年(慶長14)薩摩の島津氏が樺山久高を将とする3000余名の軍勢を派遣して琉球を侵略した事件。島津侵入事件ともいう。徳川政権は16世紀半ばに断絶した日明両国の国交回復を対外政策の基本とし,そのための対明交渉を琉球に斡旋させる目的で,1602年冬陸奥の伊達領に漂着した琉球人を島津氏に命じて本国に送還させ,琉球に聘問使(へいもんし)の派遣を要求したが,琉球側がそれに応ぜず,来聘問題は薩琉間の政治問題となった。…
※「島津義弘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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