太子町(読み)タイシチョウ

デジタル大辞泉 「太子町」の意味・読み・例文・類語

たいし‐ちょう【太子町】[大阪府]

太子

たいし‐ちょう【太子町】[兵庫県]

太子

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「太子町」の解説

太子町
たいしちよう

面積:二二・六二平方キロ(境界未定)

龍野市によって南北に分断された揖保郡の南東部に位置する。北は龍野市・姫路市、東から南は姫路市、西は龍野市に接する。北部から東部は山に囲まれ、中央部東寄りを大津茂おおつも川が、西端を林田はやしだ川がそれぞれ南流する。古代に大和法隆寺いかるが庄が成立し、同寺別院斑鳩いかるが寺も建立された。中世より明治前期まで揖東いつとう郡に属する。江戸時代は初め姫路藩領、元和三年(一六一七)大半の村が龍野藩領、一部の村が鵤藩(のち新宮藩)領と林田藩領となり、相給の村もあった。龍野藩領は藩主の交替時に幕府領となった時期を除き幕末まで続く。林田藩領も幕末まで続くが、新宮藩領は寛文一〇年(一六七〇)上知され、同一二年龍野藩領となり幕末に至る。


太子町
たいしちよう

面積:一四・二三平方キロ

金剛山地(葛城山系)北部にある二上にじよう山西斜面の緩やかな丘陵地帯に位置し、東部山地は金剛生駒国定公園に含まれる。大阪府南東部にあって、東は奈良県北葛城きたかつらぎ香芝かしば町・當麻たいま町、西は富田林とんだばやし市、南は河南かなん町、北は羽曳野はびきの市に接する。石川の支流飛鳥あすか川・太井たい川などがほぼ北西流し、国道一六六号が北部から東部竹内たけのうち峠に抜ける。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太子町」の意味・わかりやすい解説

太子〔町〕
たいし

大阪府南東部,二上山西麓にある町。 1956年磯長村 (しながむら) と山田村が合体して町制。西部の小河川沿いに開けた盆地状の平地では米,ナス,イチゴなどを,金剛山地西斜面の丘陵地ではブドウミカンを産する。古代,難波と飛鳥を結んだ竹ノ内街道 (国道 166号線) が通り,聖徳太子をまつる叡福寺 (→聖徳太子の墓 ) ,敏達天皇,用明天皇,推古天皇,孝徳天皇陵墓小野妹子の墓などがある。太子廟と4天皇陵は梅鉢御陵と呼ばれている。岩屋,鹿谷寺跡,二子塚古墳,河南町にまたがる一須賀古墳群はそれぞれ国の史跡に指定。東部の山麓一帯は金剛生駒紀泉国定公園に属する。面積 14.17km2。人口 1万3009(2020)。

太子〔町〕
たいし

兵庫県南西部,姫路・龍野両市の間にある町。 1951年斑鳩町と石海,太田の2村が合体して成立。 55年竜田村を編入。中心集落の (いかるが) は朱塗りの三重塔で知られる聖徳太子ゆかりの斑鳩寺 (法隆寺の別院) の門前町として発達。町名もこれにちなむ。西国街道の旧宿場町で,現在は国道2号線と 179号線の分岐点にあたる交通の要地。北部を太子龍野バイパスが通る。播磨平野の西部にあるので,耕地に適した平坦地が多く,米,野菜を産する。電機,紙器などの工場があるほか住宅地化も著しい。面積 22.61km2(境界未定)。人口 3万3477(2020)。

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