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岩間乙二 いわま おつに

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美術人名辞典の解説

岩間乙二

江戸後期の俳人。陸奥白石の千手院住職。麦蘿の長男。本姓は亘理、名は清雄、号松窓。俳諧は父より学ぶ。巣兆・鈴木道彦と交わり『畑芹』を刊行。俳風は東北の風土の特色をよく表し重厚温和である。奥羽の四雄と称せられた。文政6年(1823)寂、68才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岩間乙二 いわま-おつに

1756-1823 江戸時代後期の俳人。
宝暦6年生まれ。陸奥(むつ)白石(宮城県)の千手院住職。俳諧(はいかい)を父にまなぶ。江戸で夏目成美(せいび),鈴木道彦らとまじわる。東北,蝦夷(えぞ)地をめぐり,箱館で斧の柄社を結成。与謝蕪村(よさ-ぶそん)に私淑し,最初の注釈書「蕪村発句解」をあらわした。文政6年7月9日死去。68歳。本姓は亘理。名は清雄。別号に松窓。句集に「松窓乙二発句集」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

岩間乙二

没年:文政6.7.9(1823.8.14)
生年:宝暦6(1756)
江戸中・後期の俳人。本名は清雄。号は松窓。陸前(宮城県)白石の千手院住職岩間清馨(俳号麦蘿)の長男。千手院第10代住職で,権大僧都。俳諧はもっぱら父に学ぶ。早くより与謝蕪村に私淑し,のち江戸に赴き,夏目成美,建部巣兆,鈴木道彦らと交わる。文化7~10(1810~13)年と文政1~3(1818~20)年の2度にわたり箱館に滞留し,斧の柄社を結んで同地俳壇の指導に当たった。乙二は技巧を排し,「誠」の情に徹した句をよしとした。その作風は,「斧の柄」と名づけた箱館の仮寓に入ったときの句「折る柴のなほ細かれや炉のけぶり」にみえるように重厚温和。<参考文献>赤羽学「吉川五明岩間乙二」(明治書院『俳句講座』3巻)

(加藤定彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

いわまおつに【岩間乙二】

1756~1823) 江戸後期の俳人。陸前の人。別号、松窓。権大僧都。蕪村に私淑し、のち独自の風に転じた。著「松窓乙二句集」「斧の柄」「蕪村発句解」など。

出典|三省堂
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世界大百科事典内の岩間乙二の言及

【乙二】より

…江戸後期の俳人。姓は岩間,通称は清雄,松窓と号す。奥州白石の人。1803年(享和3)江戸に出て成美,巣兆,道彦と交わり《はたけ芹(せり)》を刊行。1810‐13年(文化7‐10)の北海道滞在をはじめとし,越後などに旅を重ねる。芭蕉,蕪村を慕った化政俳壇の雄で,誠を重んじ,作風は感覚的また重厚閑寂である。没後《乙二七部集》が編まれた。〈夏霧にぬれてつめたし白い花〉(《松窓乙二発句集》)。【田中 道雄】…

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