俳諧(読み)ハイカイ

デジタル大辞泉 「俳諧」の意味・読み・例文・類語

はい‐かい【俳諧/×誹諧】

こっけい。おかしみ。たわむれ。
俳句発句ほっく)・連句および俳文などの総称。
俳諧の連歌」の略。
俳諧歌はいかいか」の略。
[類語]俳句十七文字

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改訂新版 世界大百科事典 「俳諧」の意味・わかりやすい解説

俳諧 (はいかい)

漢詩,和歌,連歌,俳諧等の用語。〈誹諧〉とも書くが,〈俳諧〉のほうが一般的である。俳諧はもと中国で滑稽とほぼ同じ意味に用いられた言葉で,機知的言辞が即興的にとめどもなく口をついて出てくることをいう。現在残っている作品はそう多くはないが,中国の詩に詼諧体,俳諧体というのがあった。日本文学で俳諧(誹諧)という言葉が用いられるようになったのは10世紀初頭のころからで,《古今和歌集》巻十九〈雑体〉の部に〈秋の野になまめきたてる女郎花あなかしがまし花もひと時〉(僧正遍昭)以下58首の〈誹諧歌〉が収められている。ただ,この誹諧歌はその後あまりよい理解者を得ることなく,平安時代の末になって,初めて藤原清輔に〈王道に非ずして,しかも述妙義(みようぎをのべ)たる歌也〉(《奥儀抄》)と好意的に評価された。とはいえ中世にもなお俳諧を高く評価する者は少なく,俳諧といえばもっぱら漢詩,和歌,連歌のうち正雅とは認めがたい作品を指していう言葉であった。ところが中世も末期になると〈俳諧之連歌〉がしだいに盛んになり,江戸時代に入ると,それは純正な連歌とは別個の新しい独立した文学と認められるまで成長し,俳諧という言葉は俳諧之連歌を基盤として生まれた発句,連句,俳文など,いわゆる俳諧文芸全般を総称する名辞として定着するにいたった。なお,江戸時代では,俳諧の語をとくに狭義に用いて,連歌形式の俳諧作品(連句)を指していうことが多い。

発生期の連歌は,のちの俳諧之連歌と質的にそれほど変わりはなかったが,上層貴族文化人たちによって,和歌的情趣を好み本意本情を重んじる有心連歌としてしだいに洗練されてしまったので,やがて有心連歌と無心連歌(俳諧之連歌)は袂を分かつようになり,それがまた連歌から俳諧之連歌が独立していく機縁となった。1499年(明応8)には現存最古の俳諧之連歌集《竹馬狂吟集》が編まれ,室町時代末期には山崎宗鑑の《誹諧連歌》(犬筑波集)や荒木田守武の《誹諧之連歌独吟千句》(守武千句)なども成立,それによって連歌にいきいきとした解放感と明るく健康な諧謔精神が回復され,やがてその魅力により,俳諧之連歌は連歌界の主導権を奪ってしまうのである。

 17世紀に入ると松永貞徳やその周囲の人びとが,この俳諧に,新しい独立した文学にふさわしい条件を賦与したいと考えるまでになった。そこで彼らは,俳諧は主として俳言(はいごん)で賦する連歌であると規定,有心連歌の式目をかなりゆるくした式目を定めるなど形式面での整備を急いだ結果,貞門俳諧は新しい時代の手ごろな文芸としてますます流行し,大規模の俳諧撰集も続々出版された。ところが一方には,この知識人や啓蒙家たちが指導する中途半端な俳諧にあきたりないものを感じる人びとも多く,彼らは折から大坂天満宮の連歌宗匠西山宗因が始めた軽妙洒脱な俳諧作品を大いに歓迎,ここにいきいきとした庶民感覚にもとづく自由清新な談林俳諧が流行するようになった。だがこの談林俳諧も,いささか自由が過ぎ,放埒に傾いたという反省がその内部から興るようになり,そこからまた新しい俳諧の可能性を探るさまざまな文学運動が興ってきた。

 松尾芭蕉たちの動きもその中の一つで,彼らは漢詩文的・高踏的風韻を愛し,風狂とでもいうべき脱俗的心境を尊ぶ一方,造化(自然)に憧れ自然の懐に帰ることを希求するようになった。しかもそれは,〈高く心を悟りて俗に帰る〉庶民的・日常的・現実的な世界の文学であった。その後,俳諧は次々に登場してくる識字層をその愛好者として取り込み,あるときは卑俗平明に片寄り過ぎたり,またあるときは奇矯繊巧に傾いたりしながらもますます大衆化し,近世庶民のもっとも身近な文芸として親しまれ続けたのであった。なおまた,その過程では雑俳川柳など,より庶民的な文芸をも派生させている。このように大衆化すればするほど,俳諧は享保俳壇や天保俳壇のようにはなはだしく卑俗化する傾向にあるが,それも天明中興期の蕪村らによる高踏的・浪漫的改革運動(天明俳諧)や,正岡子規らの俳句革新運動の洗礼を受けてみごとに再生し,近代の俳句にまでよく俳諧の伝統を持ち伝えていったのである。ただ,明治以後は俳諧之連歌(連句)も多少は行われたが,子規が革新運動で〈連句非文芸論〉を唱えるころにはしだいに影が薄くなり,もっぱら発句だけが〈俳句〉の名のもとに創作され,鑑賞されるようになった。

俳諧文芸を形式の面から分類すると,狭義の意味の〈俳諧〉(連句),その巻頭の〈発句〉(俳句),さらには〈俳文〉〈俳論〉などに分けることができる。貞門俳諧,談林俳諧のころまでは100句を続ける〈百韻〉が標準的な形式であったが,蕉風俳諧以後は36句続ける〈歌仙〉形式がそれにとって代わった。このほかにも〈千句〉〈十百韻(とつぴやくいん)〉〈万句〉〈五十韻〉〈米字(よねじ)〉〈四十四(よよし)〉などの形式があったが,これらは特殊な場合にのみ行われた。また1人で詠むのを〈独吟(どくぎん)〉,2人で詠むのを〈両吟〉,3人以上の場合はそれぞれその数をとって〈三吟〉〈四吟〉などといった。付け方としては,貞門では詞の縁によって付ける詞付(ことばづけ)(物付)が,談林では前句全体の意味に応じて付ける心付(こころづけ)(意味付)が愛好され,蕉風では前句の余情と付句の余情が匂い合うような,いわゆる匂付(においづけ)が理想とされた(付合(つけあい))。俳文は芭蕉の《幻住庵記》や《おくのほそ道》,横井也有の《鶉衣(うずらごろも)》などがその代表とされている。また,俳論には《去来抄》《三冊子》などがある。

俳諧文芸はその成立以来いくつかの変化流行を重ねているので,その本質論にも諸説がある。しかし諸説に共通して認められる特質として,最初に述べたような〈俳諧は滑稽〉であり,〈王道に非ずして,しかも述妙義たる〉一種イローニッシュな性格を持つということを指摘することができよう。そのような俳諧文学の本質は,とりわけ蕉風俳諧に認めることができるので,いま蕉風俳諧を例にとっていえば,俳諧の基本的性格である機知,滑稽が,高雅,幽遠な伝統的情趣〈わび〉〈さび〉の導入によって深く内面化され,高度のフモールに昇華されたところの文芸であるということになる。しかも,そのみごとに洗練されたフモールは,いたずらに高踏・深遠な世界に求められるのではなく,あくまで庶民的・日常的・現実的世界に求められるところに,その特質がある。
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百科事典マイペディア 「俳諧」の意味・わかりやすい解説

俳諧【はいかい】

発句(ほっく)と連句の総称。もともとは漢詩や和歌の用語で,滑稽や機知諧謔(かいぎゃく)を主とすること。早く《古今和歌集》雑体の部に誹諧歌(はいかいか)がある。のち,俳諧の連歌の略。室町末期に荒木田守武山崎宗鑑らによって独自の文芸として連歌から独立,江戸初期の貞門談林派に受け継がれ,広く普及した。俳諧の語は,俳諧の連歌を基盤として生まれた発句,連句,俳文雑俳など,俳文芸全般をさしていうようになった。狭義にはその中核たる連句をさす。松尾芭蕉に至って作者の全人格とかかわる形での制作がはかられ,質的な高まりをみせ,芭蕉没後一時退廃するが,江戸後期に,蕪村らによって復興された。幕末に至り再び俗化するが,明治に正岡子規の革新運動が興り,近代俳句として再生した。
→関連項目小川破笠狂句宗鑑貞徳俳句前句付三宅石庵連歌

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「俳諧」の意味・わかりやすい解説

俳諧
はいかい

和歌、連歌(れんが)、俳諧用語。誤って「誹諧」とも書いた。俳優の諧謔(かいぎゃく)、すなわち滑稽(こっけい)の意。『古今和歌集』巻第19に「誹諧歌」として収める58首の和歌は、ことごとく内容の滑稽な歌である。連歌の一体である「俳諧之連歌」は、滑稽な連歌の意で、連歌師の余技として言い捨てられていたが、純正連歌の従属的地位を脱し、詩文芸の一ジャンルとして独立するに伴い、「俳諧」とだけ略称されるに至った。最初の俳諧撰集(せんしゅう)は1499年(明応8)成立の『竹馬狂吟(ちくばきょうぎん)集』であるが、1524年(大永4)以後に山崎宗鑑(そうかん)編『誹諧連歌抄』(『犬筑波(いぬつくば)集』)が、1536~1540年(天文5~9)には荒木田守武(もりたけ)の『守武千句』が相次いで成り、俳諧独立の気運を高めた。17世紀に入ると、松永貞徳(ていとく)を盟主とする貞門(ていもん)の俳諧が全国的規模で行われた。俳風はことば遊びの滑稽を主としたが、見立(みたて)や付合(つけあい)がマンネリズムに陥り、より新鮮で、より強烈な滑稽感の表出をねらう、西山宗因(そういん)らの談林(だんりん)俳諧に圧倒された。談林は1660年代の中ごろ(寛文(かんぶん)中期)から1670年代(延宝(えんぽう)期)にかけてのわずか十数年間で燃焼し尽くし、1690年代(元禄(げんろく)期)以降は、芭蕉(ばしょう)らの蕉風俳諧にみられるような、優美で主情的な俳風が行われた。18世紀の初頭を軸として、連句中心から発句(ほっく)中心へと俳諧史は大きく転回するが、蕪村(ぶそん)も一茶(いっさ)も連句を捨てたわけではない。連句が否定され、発句が俳句へと変身を遂げたのは、近代に入ってからのことである。

[乾 裕幸]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「俳諧」の意味・わかりやすい解説

俳諧
はいかい

日本文学の一形態。「誹諧」とも書く。広義には「俳諧之連歌」 (連句 ) ,発句 (ほっく) ,俳文,俳諧紀行,和詩など俳諧味 (俳味) をもつ文学の総称。狭義には「俳諧之連歌」 (連句) だけをさす。「俳諧」の語は元来「滑稽」を意味する中国の語で,日本では『古今和歌集』に「誹諧歌」の部立があり滑稽な和歌を収めてある。連歌は本来機知的滑稽を主とするものであったが,高度の芸術として完成すると,本来の機知滑稽を主とする連歌は「俳諧之連歌」と呼ばれた。連歌に対して一段低いものとされたが,室町時代に山崎宗鑑荒木田守武によって興隆の機運が開かれ,江戸時代には庶民の文学として普及し,江戸時代の文学の重要な一ジャンルとなった。松永貞徳らの貞門俳諧,西山宗因らの談林俳諧,松尾芭蕉らの蕉風俳諧,与謝蕪村らの中興俳諧,小林一茶らの文化文政期の俳諧などが,ピークを形成している。この時代には俳諧が職業として成立,無数の点者,宗匠が輩出した。また俳諧から派生したものに滑稽風刺を旨とする川柳 (せんりゅう) ,雑俳がある。明治になると,正岡子規を中心とする改革運動が起り,連句を捨去り発句だけがつくられるようになり,俳句と呼ばれるようになった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「俳諧」の解説

俳諧
はいかい

誹諧とも。日本文芸の一ジャンル。古くは「古今集」に「誹諧歌」がみえるが,室町時代に「俳諧連歌」が盛んになり,宗鑑(そうかん)の俳諧撰集「犬筑波(いぬつくば)集」が成立。江戸時代にはいると連歌の従属的地位から独立した文芸となり,発句(ほっく)・連句をはじめ俳文・仮名詩・雑俳など俳諧文芸の総称となった。俳諧の展開は,江戸初期,貞徳(ていとく)の貞門俳諧に始まり,寛文~貞享頃に宗因(そういん)らの談林俳諧が流行,その自由・卑俗が喜ばれたが,元禄頃の芭蕉(ばしょう)(蕉風)は自然と日常生活のなかに風雅の詩境をきずいた。江戸後期には都市・農村にひろまるいっぽう,点取俳諧・雑俳などで低俗化したが,安永~天明期に蕪村(ぶそん)らの蕉風復帰をめざす天明俳諧が一時期を画した。しかし以後はいっそうの平俗化をまぬかれず,明治期に正岡子規(しき)がこれを月並調と攻撃し,写生を主張する俳句革新運動を起こし,連句を排して発句を近代俳句としてよみがえらせた。その後,自由律俳句,新興俳句運動などをへて,俳句は大衆化し,ブームをよんでいる。

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普及版 字通 「俳諧」の読み・字形・画数・意味

【俳諧】はいかい

おかしみ。おどけ。〔北史、文苑、侯白伝〕(つうだ)にして威儀を持せず、好んで俳諧雜を爲す。人多く之れを愛狎す。~、市の如し。

字通「俳」の項目を見る

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旺文社日本史事典 三訂版 「俳諧」の解説

俳諧
はいかい

室町末期,連歌から生じた五・七・五,17文字の短詩
室町末期,山崎宗鑑・荒木田守武らによって洒落・滑稽を主とする俳諧連歌が派生。江戸初期,松永貞徳の貞門派,ついで西山宗因の談林派,元禄期(1688〜1704)の松尾芭蕉の蕉風がおこり芸術として高められたが,このころは前句付 (まえくづけ) または発句 (ほつく) と呼ばれた。その後盛衰を経て天明期(1781〜89)の与謝蕪村,化政期(1804〜30)の小林一茶らが注目されるが,以後明治時代まで低俗に流れ,明治期に正岡子規・高浜虚子らの俳諧革新運動がおこり,俳句と呼ばれるようになった。

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世界大百科事典(旧版)内の俳諧の言及

【季語】より

…一定の季節と結びつけられて,連歌,俳諧,俳句で用いられる語を季語(または季題)という。少数の語の季語化は,《古今和歌集》以下の勅撰和歌集でなされていたが,季語化の意識が強くなったのは,四季の句をちりばめて成立する連歌においてである。…

【俳言】より

…俳諧用語。俳諧の制作に用いることばのうち,俗語,日常語,ことわざなど和歌・連歌に嫌うことば,音読する漢語,鬼,女,竜,虎,狼など千句連歌に一度だけ使用を許された耳立つことばをいう。…

【俳論】より

…俳諧・俳句用語。俳諧・俳句の本質,理念,方法,規則,語彙などに関する論の総称。…

※「俳諧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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