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和歌、連歌(れんが)、俳諧用語。誤って「誹諧」とも書いた。俳優の諧謔(かいぎゃく)、すなわち滑稽(こっけい)の意。『古今和歌集』巻第19に「誹諧歌」として収める58首の和歌は、ことごとく内容の滑稽な歌である。連歌の一体である「俳諧之連歌」は、滑稽な連歌の意で、連歌師の余技として言い捨てられていたが、純正連歌の従属的地位を脱し、詩文芸の一ジャンルとして独立するに伴い、「俳諧」とだけ略称されるに至った。最初の俳諧撰集(せんしゅう)は1499年(明応8)成立の『竹馬狂吟(ちくばきょうぎん)集』であるが、1524年(大永4)以後に山崎宗鑑(そうかん)編『誹諧連歌抄』(『犬筑波(いぬつくば)集』)が、1536~1540年(天文5~9)には荒木田守武(もりたけ)の『守武千句』が相次いで成り、俳諧独立の気運を高めた。17世紀に入ると、松永貞徳(ていとく)を盟主とする貞門(ていもん)の俳諧が全国的規模で行われた。俳風はことば遊びの滑稽を主としたが、見立(みたて)や付合(つけあい)がマンネリズムに陥り、より新鮮で、より強烈な滑稽感の表出をねらう、西山宗因(そういん)らの談林(だんりん)俳諧に圧倒された。談林は1660年代の中ごろ(寛文(かんぶん)中期)から1670年代(延宝(えんぽう)期)にかけてのわずか十数年間で燃焼し尽くし、1690年代(元禄(げんろく)期)以降は、芭蕉(ばしょう)らの蕉風俳諧にみられるような、優美で主情的な俳風が行われた。18世紀の初頭を軸として、連句中心から発句(ほっく)中心へと俳諧史は大きく転回するが、蕪村(ぶそん)も一茶(いっさ)も連句を捨てたわけではない。連句が否定され、発句が俳句へと変身を遂げたのは、近代に入ってからのことである。
[乾 裕幸]
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誹諧とも。日本文芸の一ジャンル。古くは「古今集」に「誹諧歌」がみえるが,室町時代に「俳諧連歌」が盛んになり,宗鑑(そうかん)の俳諧撰集「犬筑波(いぬつくば)集」が成立。江戸時代にはいると連歌の従属的地位から独立した文芸となり,発句(ほっく)・連句をはじめ俳文・仮名詩・雑俳など俳諧文芸の総称となった。俳諧の展開は,江戸初期,貞徳(ていとく)の貞門俳諧に始まり,寛文~貞享頃に宗因(そういん)らの談林俳諧が流行,その自由・卑俗が喜ばれたが,元禄頃の芭蕉(ばしょう)(蕉風)は自然と日常生活のなかに風雅の詩境をきずいた。江戸後期には都市・農村にひろまるいっぽう,点取俳諧・雑俳などで低俗化したが,安永~天明期に蕪村(ぶそん)らの蕉風復帰をめざす天明俳諧が一時期を画した。しかし以後はいっそうの平俗化をまぬかれず,明治期に正岡子規(しき)がこれを月並調と攻撃し,写生を主張する俳句革新運動を起こし,連句を排して発句を近代俳句としてよみがえらせた。その後,自由律俳句,新興俳句運動などをへて,俳句は大衆化し,ブームをよんでいる。
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…一定の季節と結びつけられて,連歌,俳諧,俳句で用いられる語を季語(または季題)という。少数の語の季語化は,《古今和歌集》以下の勅撰和歌集でなされていたが,季語化の意識が強くなったのは,四季の句をちりばめて成立する連歌においてである。…
…俳諧用語。俳諧の制作に用いることばのうち,俗語,日常語,ことわざなど和歌・連歌に嫌うことば,音読する漢語,鬼,女,竜,虎,狼など千句連歌に一度だけ使用を許された耳立つことばをいう。…
…俳諧・俳句用語。俳諧・俳句の本質,理念,方法,規則,語彙などに関する論の総称。…
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