デジタル大辞泉
「夏目成美」の意味・読み・例文・類語
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なつめ‐せいび【夏目成美】
- 江戸中期の俳人。江戸の人。別号に随斎など。通称、井筒屋八郎右衛門。江戸浅草の札差。父宗成の影響で俳諧に入り祇徳、蓼太、暁台らと知る。一茶の理解者であり、寛政~文化(一七八九‐一八一八)の頃江戸三大家の一人と称された。句風は清雅。著「成美句藻」「随斎諧話」「四山藁」など。寛延二~文化一三年(一七四九‐一八一六)
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夏目成美
没年:文化13.11.19(1817.1.6)
生年:寛延2.1.10(1749.2.26)
江戸中期の俳人。名は包嘉。幼名,伊藤泉太郎。通称井筒屋八郎右衛門(5代目),隠居して儀右衛門と改称。初号八良治。別号,随斎,不随斎など。伯父の祇明(寛延1年10月4日没)は,点取俳諧の弊風を離れて蕉風を志向した四時観連のひとり。成美は,この祇明の生まれ変わりということで,3歳になるまで父の実家伊藤家に預けられた。16歳で,江戸蔵前の札差井筒屋の家督を継ぐ。18歳で痛風を病み,その時以来右足の自由を失う。父(俳号宗成),母,弟(吟江),父の弟(福来)らなど,一族挙げて俳諧を能くし,成美も早くから俳諧に親しんだ。自ら「俳諧独行の旅人」と称し,一定の流派に属さないまま,2世(仲)祇徳,大島蓼太,加舎白雄,加藤暁台,高井几董らと交わり,小林一茶に対してはパトロン的立場にあった。家業の余技として俳諧を楽しみつつ,「後の月葡萄に核の曇りかな」,「魚くふて口なまぐさし昼の雪」といった都会的で清雅な句を詠み,与謝蕪村と同じく去俗の俳論を提唱した。同時に,松尾芭蕉の追悼や顕彰に協力,寄与している。売名虚名にも迷わなかった彼は,人格円満で多くの人に慕われ,おびただしい数の序跋を与えている。<参考文献>石川真弘編『夏目成美全集』
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夏目成美 なつめ-せいび
1749-1817* 江戸時代中期-後期の俳人。
寛延2年1月10日生まれ。江戸蔵前の札差井筒屋に生まれ,16歳で家督をつぐ。父にまなび,俳諧(はいかい)独行の旅人と称して特定の派に属さなかった。加舎(かや)白雄,加藤暁台(きょうたい)らと親交をむすび,小林一茶(いっさ)を援助した。文化13年11月19日死去。68歳。名は包嘉。字(あざな)は万齢。通称は井筒屋八郎右衛門(5代)。別号に随斎,不随斎など。句集に「成美家集」,文集に「四山藁(しざんこう)」など。
【格言など】橋一つ越す間を春の寒さ哉(「古今模範一万句集」)
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夏目成美
なつめせいび
[生]寛延2(1749).1.10. 江戸
[没]文化13(1816).11.19. 江戸
江戸時代後期の俳人。名,包嘉。幼名,泉太郎。通称,井筒屋八郎右衛門 (5世) 。別号,良治,修行庵,随斎,不随斎,法林庵,贅亭,無辺法界俳士,卍齢坊,大必山人,四山道人。江戸浅草の富裕な札差業。人徳円満の長者で,一定の流派に属さず,広く俳諧人と交わり,一茶の庇護者でもあった。編著『一夜流行』 (1788) ,『鼠の道行』 (1815) ,『随斎諧話』 (19) ,『四山藁』 (20) ,『萩末津里 (はぎまつり) 』など。
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夏目成美 (なつめせいび)
生年月日:1749年1月10日
江戸時代中期;後期の俳人
1817年没
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世界大百科事典(旧版)内の夏目成美の言及
【成美】より
…江戸後期の俳人。姓は夏目,名は包嘉。幼名は泉太郎。通称は井筒屋八郎右衛門(5代目)。初号は八良治。別に修行庵,随斎,四山道人などの号がある。江戸蔵前の札差の家に生まれ,16歳で家督を継ぐ。伯父祇明,父宗成以下成美一族は挙げて俳諧をよくし,彼も幼少より句をたしなむ。15歳のとき荘丹の《猪武者》に八良治の号で入集。初め2世祇徳に親しんだが,一流派に属さず,門戸も構えず,自ら〈俳諧独行の旅人〉と称した。虚弱多病で脚疾に苦しんだが,人柄は温厚篤実で長者の風格をそなえ,一茶の庇護者として知られる。…
※「夏目成美」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」