島戸関(読み)しまとのせき

日本歴史地名大系 「島戸関」の解説

島戸関
しまとのせき

遠賀川河口部に位置していたとも考えられる関。宝治二年(一二四八)一二月日付で中原光氏に下された蔵人所牒(写、阿蘇品文書/鎌倉遺文一〇)によれば、当時左方灯炉作手惣官であった光氏は前月一一月日に蔵人所に対し諸国を遍歴する廻船鋳物師集団の保護のために、とくに西国の門司もじ(現北九州市門司区)赤間あかま(現山口県下関市)・「嶋戸」・竈戸かまど(現山口県上関町)三尾みお(現島根県三保関町)などの関での新儀狼藉(関料賦課)を停止するよう請い、主張が認められている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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