赤間(読み)あかま

精選版 日本国語大辞典 「赤間」の意味・読み・例文・類語

あか‐ま【赤間】

  1. [ 1 ]あかまがせき(赤間関)
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙あかまいし(赤間石)」の略。
    1. [初出の実例]「歯磨の函と肩を比べた赤間の硯が一面載せてある」(出典:浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉一)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「赤間」の意味・わかりやすい解説

赤間
あかま

福岡県北部宗像市(むなかたし)東部の一地区。旧赤間町。1954年(昭和29)近隣町村と合併し、宗像町(1981年市制施行)となる。古来、鹿児島街道など主要道路が通過、江戸時代には木屋瀬(こやのせ)(北九州市)から、箱崎(はこざき)(福岡市)に通じる街道と、芦屋(あしや)(遠賀(おんが)郡)への街道の分岐点にあたり、筑前二十一宿(ちくぜんにじゅういちしゅく)の一つとして栄えた。明治以降衰退したが、近年は住宅地域となり、福岡教育大学など教育施設が多い。

[石黒正紀]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「赤間」の意味・わかりやすい解説

赤間
あかま

福岡県北部,宗像市に属する地区。旧町名。 1954年東郷 (とうごう) 町および吉武 (よしたけ) ,河東 (かとう) ,南郷の3村,神興 (じんごう) 村の一部と合体して宗像町となり,81年市制。古くは赤馬と書いた。江戸時代は小倉から博多唐津に通じる街道の宿場町,市場町として発達。その後も地方中心地として栄えた。鹿児島本線の開通後は駅から遠く離れたので,一時衰微。国道3号線が通じ,61年の国鉄電化後,福岡,北九州両市の近郊住宅地域の1つとして急激に発展しはじめた。北部の城山山麓に福岡教育大学がある。

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世界大百科事典(旧版)内の赤間の言及

【宗像[市]】より

…福岡・北九州両市の中間に位置し,鹿児島本線,国道3号線が通り,九州自動車道の若宮インターチェンジにも近い。近世筑前二十一宿の一つとして栄えた赤間と宗像郡の行政中心地として発達した東郷が中心市街を形成する。1961年の国鉄(現JR)の電化以来,福岡教育大学,東海大学(現,短期大学)の進出をはじめ,新日本製鉄の社宅や自由ヶ丘,日の里など大型住宅団地の造成が相つぎ,60年代後半から福岡・北九州両市のベッドタウンとして人口が急増している。…

※「赤間」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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