崇寿寺跡(読み)すうじゆじあと

日本歴史地名大系 「崇寿寺跡」の解説

崇寿寺跡
すうじゆじあと

[現在地名]鎌倉市材木座四丁目

光明こうみよう寺の北東べんやつにあった臨済宗寺院。金剛山と号する。元亨元年(一三二一)開山南山士雲、開基北条高時として創建、諸山に列せられた(鹿山略志、南山和尚行実)

北条貞時十三年忌供養記(県史二)によると、元亨三年の貞時十三年忌法要に崇寿寺僧衆一三人が参加している。嘉暦二年(一三二七)には梵鐘が造られた(「鎌倉志」所引鐘銘)。歴代住持には開山南山以下二世乾峰士曇・三世卍庵士顔・大歇□休・東伝士啓・竺心景仙・瑞峰長麟・士恩などが知られ、乾峰入寺の頃には山門・仏殿・祠堂・祖堂が整備されていたようである(乾峰和尚語録など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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