日本歴史地名大系 「崇聖寺跡」の解説
崇聖寺跡
すうせいじあと
(不二和尚遺藁)、宗鎮泰山(東漸和尚法語集)、永享一〇年(一四三八)頃に通延(「蔭涼軒日録」同年四月二〇日条)、文安四年(一四四七)頃に密室至賢(心田播禅師疏)、寛正二年(一四六一)頃に曇
(「蔭涼軒日録」同年一一月二一日条)、同五年頃に知見(同書同年一二月二一日条)、延徳三年(一四九一)頃に恵徹(同書同年六月二日条)、大永八年(一五二八)頃に玄儔(鹿苑院公文帖)、天文一八年(一五四九)頃に天庵梁桂(同書)が入院していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報