寺町村(読み)てらまちむら

日本歴史地名大系 「寺町村」の解説

寺町村
てらまちむら

[現在地名]世羅町寺町

堀越ほりこし村の東に位置。比高約五〇メートルの宇戸うと山南麓を曲流する大田おおた(現芦田川)北岸に低地部が開け、北に連なる山地部に宇山うやま谷・もり谷・正連しようれん谷・室屋むろや谷・池田いけだ谷が点在。東の本郷ほんごう村内に飛郷公文くもん谷がある。大田川流域には水田が開けている。西は堀越・京丸きようまるの両村、北は安田やすだ村に接する。「和名抄」にみえる古代の大田郷に含まれ、中世には紀州高野山大田庄の一部であった。本郷寺町と併記されることが多い。

康徳寺こうとくじ古墳下方の水田中に、竪穴住居を含む弥生時代前期の遺跡がある。また同古墳の北、康徳寺参道西側一帯の水田からは石器類のほか、非常に珍しいとされる漆塗の土器片が出土。大田川河川敷を中心とした低地部には条里制の遺構もみられる。康徳寺古墳や、康徳寺門前の白鳳期の寺院跡一帯は、かつて世羅郡の中心地の一つで、これらに関係が深いと考えられる開発領主橘氏の拠点であったといわれる。橘氏の子孫の大田方下司橘光家は、源平の争乱期に勢力を拡張したが、その後、三善氏地頭職に任ぜられて橘氏の権益を継承、三善氏は鎌倉期を通じて在地性を強めていった。


寺町村
てらまちむら

[現在地名]富山市寺町・寺町てらまちけやきだいなど

井田いだ川の左岸北方、呉羽山くれはやま丘陵中のじよう(一四五・三メートル)東麓に位置する。東は五福ごふく村、南は金屋かなや村。村名は臨済宗の万松山崇聖すうせい寺があったことによるとみられる。婦負郡に属し、寛永一六年(一六三九)以降富山藩領。正保郷帳では高二四四石余、田方五町二反・畑方一一町余、新田高七一石余。寛政二年(一七九〇)の高物成品々手鏡では古高四八七石余・定免五ツ五歩五厘、新田高八石余(平均免八歩八厘五味)、銀納畑一千四四四歩、定小物成として山役一三匁八分五厘・鮎川役一匁・柳差役五匁。幕末の古高五一二石・免五ツ六歩、分卦古高計五六石余、新開高一〇石余、鮎川役一匁・山役二七匁七分、百姓家数二三・頭振一八(古高免小物成銀等書上)


寺町村
てらまちむら

中世から近世初頭にかけての村名で、吉行よしゆき四日市次郎丸よつかいちじろうまる土与丸どよまる助実すけざねの四ヵ村の地にあたる。文明四年(一四七二)二月一二日付大内氏奉行人連署奉書(「譜録」所収脇信之家文書)に村名がみえ、これ以前脇直泰が大内氏から「西条寺町四十石足」を宛行われていたことがわかる。このほか毛利氏や内海氏らの給地があり(文明七年一一月二四日「毛利豊元譲状」毛利家文書、「閥閲録遺漏」所収粟屋勘兵衛家文書)、毛利氏は一部を家臣坪井氏に与えていた(「閥閲録」所収坪井左兵衛家文書)

大永三年(一五二三)八月一〇日の安芸東西条所々知行注文(平賀家文書)によると、寺町村は八〇〇貫とされ、うち吉行方二〇〇貫が平賀氏領で、平賀氏家臣南氏の知行地となっていたが、平賀氏はこの年大内氏の鏡山かがみやま城を攻略した尼子氏方に寝返ったため、尼子氏からその恩賞として大内方給人の所領を合わせた二一六貫一五〇文を与えられ、さらにやはり尼子氏方に寝返った毛利氏の知行分を除く「□□方公領并寺社諸給人跡」がすべて平賀氏の知行となった。


寺町村
てらまちむら

[現在地名]七城町うてな

水島みずしま村の南に位置する小規模な村。西は内田うちだ川を隔てて玉名たまな郡中富手永に属する梶屋かじや(現鹿本郡鹿本町)と対する。天正一七年(一五八九)検地帳によると、田三町六反七畝余・畠一町三畝余、分米五五石とあり、名請人二、屋敷数六。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳では田三町七反五畝余・畠一町五畝余、分米五五石四斗、名請人五、屋敷数五。


寺町村
てらまちむら

[現在地名]滑川市寺町

早月はやつき川が形成した旧扇状地(台地)と新扇状地(平野)の境界付近に位置し、北西は有山新ありやましん村。正保郷帳では高四七五石余、田方三一町四反・畑方三反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(奥野家文書)によると草高四一六石、免四ツ二歩、小物成は山役五一匁・蝋役四匁、鮭役二匁(退転)・鮎川役一匁(出来)


寺町村
てらまちむら

[現在地名]金沢市北寺町きたでらまち

松寺まつてら村の北、浅野川右岸に位置。村名は室町時代倉月くらつき庄の領主であった摂津氏の氏寺穢土えど(現京都市西京区西芳寺)の所領が村領内にあったことによるという(加賀志徴)。正保郷帳によれば高三一八石余、田方一九町四反余・畑方一町八反余。


寺町村
てらまちむら

[現在地名]上越市寺町

石沢いしざわ村の南東に位置。正保国絵図によると高六六二石。天和三年郷帳では高七九八石九斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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