崎方町(読み)さきがたちよう

日本歴史地名大系 「崎方町」の解説

崎方町
さきがたちよう

[現在地名]平戸市崎方町

平戸城の北、うらの町の北東にあり、平戸湊に臨む。本町ほんちよう通六ヵ町の一つで、大福だいふく町・いわい町・常盤ときわ町三ヵ町の総称であった。平戸松浦氏の宗家松浦隆信(道可)の代の天文年間(一五三二―五五)より明の王直を優遇して交易を推進するとともに、道可は崎方遠見さきがたとおみ古館ふるたちに移ったと伝える。これにより異国船が入津し、京、泉州さかい(現大阪府堺市)商人が居着くようになったので、町屋を広げ、平戸三代藩主松浦隆信(宗陽)の代の寛永年間(一六二四―四四)にわたって埋立が行われ、崎方の果てまで二筋の町屋が続いたという(壺陽録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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