日本歴史地名大系 「川俣谷」の解説 川俣谷かばただに 三重県:飯南郡飯高町川俣谷下滝野(しもたきの)から舟戸(ふなと)に至る櫛田(くしだ)川筋の地域の総称。河股・河俣の字をあてる場合もある。「太神宮諸雑事記」の延久元年(一〇六九)七月二〇日条に「始被下宣旨於太神宮司天、河俣山追討使等差遣天、伊賀伊勢志摩大和紀伊国等乃要害等令問天、彼山乃悪人散位紀為房、同近助、同宗近朝臣、及各等男女子共被追討已了、但同年九月三日ヨリ始天、同廿二日戮了天進官又了、大将軍左衛門尉従五位下源朝臣家宗、件判官従大和国入件山、副将軍前駿河守平惟盛朝臣、自伊勢国飯高郡入件山、」とあり、一一世紀の時点で、伊勢国と大和国の境であった当地は、河俣山と称していたことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
世界大百科事典(旧版)内の川俣谷の言及 【櫛田川】より …上流は渓谷美を中心とする香肌峡(かはだきよう)県立自然公園の景勝地であり,林業を生業とする山林地域である。川俣(かばた)谷と呼ばれた上流部は,近世以来,伊勢茶の産地として知られる。下流部は伊勢平野で伊勢米の産地であり,かつて伊勢商人の活動の基盤であった松坂木綿の産地でもあった。… ※「川俣谷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」