大内とは禁中・内裏をいうが、延喜四年(九〇四)宇多法皇が仁和寺内に御座所を営み、御室御所とよばれたことにちなむ。「大和物語」三五段に
とある。歌枕で、「八雲御抄」は「在名所寄大内也、普通寄禁中、源氏始之歟」と記し、「大和物語」を引く。歌も山をさす場合と、禁中を意味する場合とがある。
「花鳥余情」は「今案大内山は仁和寺の名所なれ共こゝには内裏の心に用ひたり。(中略)源頼政も大内守護の武士にて三位をのぞみし歌に大内山の山守はとよめり」といい、「李部王記」に承平三年(九三三)四月六日「天子放若狭国所献之雉於大内山」とあることを記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
三重県中南部、度会郡(わたらいぐん)にあった旧村名(大内山村(むら))。現在は大紀(たいき)町の西部を占める地域。旧村名は古代からの郷名による。2005年(平成17)大宮町、紀勢(きせい)町と合併して大紀町となる。台高山脈(だいこうさんみゃく)の南麓(なんろく)に位置し、旧村域の93%が山林で、集落と耕地は宮川の支流大内山川の狭い谷底に分布している。全国屈指の多雨地帯で年降水量3349ミリメートル、降水日数152日を数える。JR紀勢本線、国道42号が通じ、南へは荷坂(にざか)峠の急崖(きゅうがい)を下る。スギ、ヒノキの林業、シイタケ、茶、酪農(大内山牛乳)が主産業。全地域が奥伊勢(おくいせ)宮川峡県立自然公園区域で、大内山川最上流に犬戻(いぬもどり)峡の景勝がある。
[伊藤達雄]
『『大内山村史』全2巻(2004・大内山村)』
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