川原内村(読み)かわはらうちむら

日本歴史地名大系 「川原内村」の解説

川原内村
かわはらうちむら

[現在地名]山川町河原内(かわはらうち)

在力(ざいりき)村の北、蒲地(かまち)山地西麓一帯と大根(だいこん)川上流域にある。南は立山(たちやま)村。文禄四年(一五九五)の知行方目録に河原内村とあり、高四九七石余。慶長二年(一五九七)の柳川領村高附帳(立花家文書)には反別五六町六反余、村柄は中とある。元和七年(一六二一)の郡村帳では玄蕃高四四六石余、小物成は山手米二石余・茶年貢米八升。万治三年(一六六〇)の忠茂公御代之分限帳(渡辺家史料)によれば清田治部丞・小田市正の知行地があった。旧高旧領取調帳では高六二二石余、幕末から明治初年の反別五六町三反余(郡郷)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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