陪冢 (ばいちょう)
一般には,主墳の脇につくられた近親者や従者の墳墓をさす。陪塚(ばいづか)ともいう。たとえば,中国では前漢・武帝の茂陵に対する李夫人墓や霍去病(かくきよへい),衛青らの重臣墓が名高い。しかし,被葬者が判明しない場合は墳墓間の関係を推測することはきわめて難しく,限定されたもののみにこの用語を用いることになる。日本の場合もその例で,大小のものよりなる古墳群では,歴代の首長墳以外のものはすべて陪冢と呼ぶこともできるが,現状では,後者の中でもとくに,主墳に対して計画的に配された,同時代の質量ともに従属性の強い小古墳に限って用いられる。大阪府仁徳陵(大仙)古墳や奈良県こなべ古墳の周堤帯に馬蹄形に配された帆立貝式古墳や円墳,あるいは方墳,群馬県愛宕塚古墳や八幡塚古墳の周濠内に営まれた円墳(〈中島〉と呼ぶ)などが典型とされる。古墳時代を通じてみられるが,中期の畿内の大型前方後円墳を中心に発達し,主墳を荘厳化する役割も担う。ただし,陪冢と呼ばれているもののなかには,内部施設に多量の副葬品を納め,人体埋葬が考えにくいものや,〈中島〉のように主墳を離れた祭祀の場とも考えられるものがあり,単純ではない。
→帝王陵
執筆者:和田 晴吾
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陪冢
ばいちょう
大形古墳(主墳)の傍らに造られた小古墳
陪塚ともいう。近親者や従臣,あるいは副葬品を葬ったといわれる。大山 (だいせん) 古墳などの大前方後円墳では,数基または十数基の陪冢が馬蹄形にとりまいている。
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世界大百科事典(旧版)内の陪冢の言及
【墳墓】より
… 壮大な規模をもち豊富な副葬品を伴い,場合によっては殉葬を伴う墳墓は,絶対的権力を手中に収めた首長あるいは王の墓と理解されている。また壮大な墳墓の周辺に群がる小墳墓は[陪冢](ばいちよう)と呼ばれ,前者に付属するものともいわれる。アルプス以北のヨーロッパでは新石器時代から青銅器時代にかけての大規模な墳墓,とくに集葬墓はただちに階層上部の人びとの墓ともいいがたく,確実な首長墓の出現は鉄器時代([ハルシュタット文化])の到来を待たなければならない。…
【陵墓】より
…諸陵の四周を方形の牆壁が取り囲み,四方に門闕(もんけつ)をもつ([門],[闕])。皇后陵は一段小さく,また臣下の[陪冢](ばいちよう)をもつものがある。これら諸陵の維持のため,高祖から昭帝まで,文帝を除く5陵に陵邑が設けられた。…
※「陪冢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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