日本大百科全書(ニッポニカ) 「川口鋳物」の意味・わかりやすい解説
川口鋳物
かわぐちいもの
室町末期ごろまでに武蔵(むさし)国足立(あだち)郡川口(埼玉県川口市)周辺で創業された地場(じば)産業。近世には「川口鍋(なべ)」として知られた。荒川の良質砂と粘土、舟運の便、消費地江戸を控えて繁栄。記録上最古の作品は、江戸日吉山王(ひえさんのう)社の天正(てんしょう)14年(1586)銘の鰐口(わにぐち)。江戸時代、京都真継(まつぎ)家免許鋳物師(いもじ)としてギルド組織を形成、鍋、釜(かま)、梵鐘(ぼんしょう)、水盤などを製作する。化政(かせい)期(1804~30)以降発展著しく、1824年(文政7)業者数13人であったのが、61年(文久1)には23人に増加。幕末には下請けの買湯屋が出現、マニュファクチュア形態がみられ、幕府や諸藩の大砲鋳造も行う。明治以降技術革新と新販路開拓に努め、日清(にっしん)戦争後数次の戦争で急成長した。太平洋戦争後は民需に転換。1984年(昭和59)機械用銑鉄鋳造だけで年間33万トン、全国生産の約10%を占める。
[大村 進]