川平
かわだいら
[現在地名]丸森町筆甫 川平
筆甫の南、宇多川上流部に位置し、相馬氏領の宇多郡玉野村(現福島県相馬市)との境界が複雑に入組んでいる。元和六年(一六二〇)領境の中井塚山のうち鍋宇津山で相馬氏領の者が公儀用材と称して伐り出したことにより争論となった。いったんはその言を信じて収拾したが、同七年伊達氏領の者が材木を伐り出すに及んで今度は相馬側が伐採ならぬとして紛糾し、伊達家が当方の山と決するに至り、ついに相馬利胤が幕府に訴え出た(貞山公治家記録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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