川田山(読み)かわたやま

日本歴史地名大系 「川田山」の解説

川田山
かわたやま

[現在地名]山川町 迎坂むかいざか皆瀬かいぜ桑内くわうち馬見尾まみお榎谷えのきだに久宗ひさむね大内おおうち楠根地くすねじ奥野井おくのい

東西の川田村の南、川田川支流奥野井谷おくのいだに川の流域山間に位置する。東はけた山、南は三ッ木みつぎ(現木屋平村)、西は美馬みま口山くちやま(現穴吹町)。慶長期(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に「川田山分」とある。正保国絵図では川田山とみえ、新田と注記され、高二四三石。明暦四年(一六五八)の棟付帳では高二四三石、家数一二一・人数三三一(男子のみ)、牛一九五・馬七(山川町史)。「阿波志」によると、反別は陸田・水田を合せて八一町。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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