麻植郡(読み)おえぐん

日本歴史地名大系 「麻植郡」の解説

麻植郡
おえぐん

面積:一四四・一九平方キロ
鴨島かもじま町・川島かわしま町・山川やまかわ町・美郷みさと

県の北部、吉野川の中流域右岸(南岸)に位置し、同川を挟んで北は板野いたの郡・阿波郡、東から南は名西みようざい郡、西は美馬みま郡に接する。郡域南部は四国山地の北部にあたる山地で、高越こうつ(一一二二メートル)をはじめとする急峻な山山が連なる。これらの山々を水源とする飯尾いのお川・桑村くわむら川・学島がくしま川・川田かわた川などが郡の北辺を東流する吉野川に合流している。こうした河川によって形成された北部の沖積平野部を徳島市と三好みよし池田いけだ町を結ぶJR徳島線と国道一九二号が並行しながら東西に走る。一九二号からは板野郡吉野町・土成どなり町を経て香川県へと通じる国道三一八号が鴨島町西部で、美郷村を経て名西郡神山かみやま町へ通ずる国道一九三号が山川町の東部でそれぞれ分岐している。郡名の由来は、忌部氏が当地に入植して麻などを植えたことにあるとする説(古語拾遺)が有力であるが、不明な点も多い。「和名抄」東急本国郡部では「宇恵」、元和古活字本以下流布刊本国郡部では「乎恵」と訓じ、名博本の郡郷部では「ヲヘ」、「拾芥抄」では「ヲヱ」と読んでいる。表記は古代には麻殖、中世も麻殖が主であるが、麻植の表記も散見し、近世以降は麻植と記されることが多くなる。吉野川の上流部にあたる美馬・三好両郡地方を上郡かみごおりと総称するのに対して、当郡および阿波郡の一帯は一般に下郡しもごおりとよばれていた。近代以降に当郡と阿波・板野両郡との間で若干の境界変更があり、昭和四八年(一九七三)にはそれまで当郡に属していた木屋平こやだいら村が美馬郡に編入されている。この編入まで当郡は南西部で那賀なか郡とも境を接していた。なお以後の原始を除く古代―近現代の記述においては、現在の郡域ではなく、その当時の郡域を対象としている。

〔原始〕

郡域では四国山地北麓の緩斜面部を中心に一〇〇ヵ所以上の遺跡が知られているが、低地遺跡の把握は十分でない。旧石器時代の遺跡は未発見で、縄文時代草創期に通有とされる有舌尖頭器が川島町がく唐戸からと・鴨島町敷地しきじで採集された。後期前葉に属する鴨島町東禅寺とうぜんじ遺跡で発掘調査が実施され、焼失住居跡が検出された。山川町季邦すえくに遺跡では石匙が出土した。弥生時代は上流側に発達する台地上の山川町宮地みやじ遺跡・池尻いけじり遺跡・岡山おかやま遺跡、下流側では四国山地の谷地の鴨島町の敷地(赤坂)遺跡や三谷みたに遺跡が、不時発見により知られる程度で、発掘調査によって集落等の実態が明らかにされた例はない。青銅器はいずれも明治年間の発見とされる上浦かみうら(牛島)銅鐸・森藤もりとう銅鐸(鴨島町)、川島銅鐸(川島町)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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