川目村(読み)かわのめむら

日本歴史地名大系 「川目村」の解説

川目村
かわのめむら

[現在地名]大曲市川目

南は六郷西根ろくごうにしね村、東は小貫高畑おぬきたかばたけ村、西は雄物川を隔てて大曲西根おおまがりにしね村、北は飯田いいだ村に接する。西を雄物川が北流している。

暦応四年(一三四一)一二月一一日の村々年貢注進状(新渡戸文書)に「一河目村 参貫四百六十八文郷之年貢別紙進文分」とある。天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の命により戸沢氏が支配下の三五ヵ城を破却しているが、その一つに仙北せんぼく郡の「河野目」がある(新庄古老覚書)。いずれも資料が乏しく当地と断定するには至らない。神社明細調抄(大曲町史資料)によれば、天正一一年山貝四郎左衛門が追分おいわけ荒野を開き、一宇を建て村の鎮守としたのが稲荷神社の始まりという。


川目村
かわめむら

[現在地名]盛岡市川目町・東山ひがしやま一―二丁目・川目

西は東中野ひがしなかの村・安庭あにわ村・かど村に接し、西流するやな川に沿って東西に延びる村。村内を東西に閉伊へい街道が通る。寛永一八年(一六四一)の検地高三五三石余(「検地高目録写」県立図書館蔵)。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付には蔵入高四九四石余とあり、七ヵ年平均の免は二ツ七分九厘五毛。元禄十郡郷帳には当村は東の簗川やながわ村に入るとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android