日本歴史地名大系 「大曲市」の解説 大曲市おおまがりし 面積:一〇四・九一平方キロ仙北(せんぼく)郡の南に位置し、北は同郡中仙(なかせん)町・西仙北(にしせんぼく)町・神岡町、東は同郡仙北(せんぼく)町・六郷町・仙南村、西は同郡南外(なんがい)村、南は横手市・平鹿(ひらか)郡大雄(たいゆう)村・大森町に接する。東を奥羽山脈、西を出羽山地が南北に平行して走る横手盆地の北西部。ほぼ中央を雄物川が貫流し、北部で玉(たま)川、中部左岸で小友(おとも)川、右岸で丸子(まるこ)川、南部で横手川(旭(あさひ)川)を合わせる。市域の大部分はその流域に展開する平坦地で、水田地帯をなしている。国道一三号と奥羽本線がほぼ平行に南東から北西に走り、国道一〇五号が北東から西に通る。国鉄田沢湖線の起点でもある。現市名は昭和二九年(一九五四)の市制施行時に始まり、現中心市街地の中世以来の郷村名に由来する。近世には大半が仙北郡(寛文四年までは山本郡)に属した。〔原始・古代〕雄物川左岸、出羽山地西麓の現大曲西根(おおまがりにしね)に縄文晩期の成沢(なりさわ)遺跡・鳥居(とりい)遺跡、弥生時代の宇都台(うつのだい)遺跡がある。大曲西根には成沢窯跡、現内小友(うちおとも)には九十九沢(つくもざわ)窯跡があり、大曲市東隣の払田柵(ほつたのさく)跡(現仙北郡仙北町)との関連が注目される。北隣の神宮寺(じんぐうじ)嶽(現仙北郡神岡町)に式内社があったとされることなどから、古代においてもこの地に一定の歴史的展開があったことは十分推測されるところであるが、今後の調査にまつべき点が多い。〔中世〕現横手市金沢(かねざわ)の八幡神社に大般若経があり、正和元年(一三一二)の奥書に「大曲住人沙弥心仏」「十巻住沙弥尼明心」とみえる。現丸の内(まるのうち)町の八幡神社には元亨三年(一三二三)の紀年銘をもつ石造五重塔があり、現角間川(かくまがわ)町の喜福(きふく)院には嘉暦三年(一三二八)銘、現須和(すわ)町の大川(だいせん)寺には永和二年(一三七六)銘、現大曲古四王際(こしおうぎわ)の古四王神社には康暦三年(一三八一)銘の板碑がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by