雄物川(読み)オモノガワ

デジタル大辞泉 「雄物川」の意味・読み・例文・類語

おもの‐がわ〔をものがは〕【雄物川】

秋田県南部を流れる川。神室かむろ山地に源を発し、北西に流れて秋田市日本海に注ぐ。長さ133キロ。御物川。御膳川。

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精選版 日本国語大辞典 「雄物川」の意味・読み・例文・類語

おもの‐がわをものがは【雄物川】

  1. ( 上流域一帯の貢物の輸送路であったところから呼ばれた ) 神室(かむろ)山地を源とし、横手盆地秋田平野を流れて日本海に注ぐ川。全長一三三キロメートル。御物川。御膳川。

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日本歴史地名大系 「雄物川」の解説

雄物川
おものがわ

大仙だいせん(九二〇メートル)北麓の十分一沢じゆうぶいちざわ(銀山川)が源流といわれ、大仙山南麓に発する南沢みなみさわ川の合流点(雄勝郡雄勝町上院内長倉)の下流を一級河川雄物川とする。流路は一三三キロ、流域面積は四千一八〇平方キロ。雄物川はそれより北流するが、西側には長大な支流はない。東側は雄勝おがち郡雄勝町横堀よこぼり役内やくない川、湯沢市西北部で皆瀬みなせ川、大曲おおまがり角間川かくまがわで横手川(あさひ川)が北西流しながら合流する。檜木内ひのきない川を合わせたたま川が大曲市花館はなだての北で合流し、そこから西に出羽山地を嵌入蛇行しながらよど川・岩見いわみ川を合わせ、流域に秋田平野を展開して土崎つちざき(秋田港)で日本海に注いだが、現在は秋田市新屋あらや地区で西流して直接海へ入る。

横手盆地と秋田平野との生産地帯を結び、近世には農業用水として田地を潤すとともに輸送動脈の役割を果した。秋田藩にとっての重要性を、安永元年(一七七二)の塩谷伯耆久綱御家老勤中日記(国典類抄)には「根元右川筋之儀御領内院内より之水源ニ仙北三郡数多之川筋落合、御物川と申、全く一領一躰之川筋」と記している。

秋田市南部の雄物川を古代に秋田あいた河とよんだ。秋田郡を流れるからであろう。秋田河の初見は天長七年(八三〇)一月二八日付で秋田城周辺の大地震を報じた「出羽国駅伝奏」で、「城辺大河云秋田河、其水涸尽、流細如溝、疑是河底辟分、水漏通海歟、吏民騒動、未熟尋見(類聚国史)とある。この地震の原因は秋田市の北方を東西によぎる横すべり断層によるもので、これにより秋田城の東部を北流していた雄物川は流路を変え、現在の旧雄物川の河道をとったといわれた。しかしボーリングによる地質調査によれば、ほぼ現在の流路となったのは更新世時代の地殻変動の結果で、天長七年の地震による水路の移動はなかったことになる。

また仙北せんぼく地方では古くは仙北川とよんだという(秋田千年瓦)。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図は御物川と書く。菅江真澄は「雪の出羽路」に「土崎の湊を裳浦もすそのうら、あるいは御裳のみなとなといふより、此川のみとも御裳の川といふといへども、おものなり 川つみてくだす川舟の河もせにこきぬれば名にながれたりとも人のもはらいへど、まことは源に御膳沢おふものさはといふありて、その水の流れ来れば、しかいふとなも」とし、御裳おもの川、物成を運ぶ御物おもの川、源流に基づく御物川の説をあげる。現在、御膳沢の位置は明白でない。

〔水運〕

雄物川を御物川と説くのは、仙北地方年貢米が大量に運ばれたからという説があるが、その量は古くは不明。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「雄物川」の意味・わかりやすい解説

雄物川(川)
おものがわ

秋田県南部を北西流して日本海に注ぐ川。一級河川。延長133キロメートル、流域面積4710平方キロメートル。山形県境に近い湯沢市上院内(かみいんない)の南沢付近に源を発し、横手盆地の西縁を北流し、大仙(だいせん)市花館(はなだて)付近で最大の支流玉川と合流し、出羽(でわ)山地を穿入(せんにゅう)蛇行しながら秋田平野に入り、秋田市の中心市街地近くで日本海に注ぐ。かつては土崎港を河口としていたが、土砂の堆積(たいせき)と洪水による被害を防ぐため、1938年(昭和13)新屋(あらや)の北側の砂丘を切断して分水路を開き、河道を日本海に直進することに成功した。開削で掘り上げられた土は茨島(ばらじま)一帯の湿地を埋め立て、工業用地とした。茨島から土崎までの旧河道は現在運河として利用され、沿岸には工場が立地する。支流は玉川のほか、成瀬(なるせ)川、皆瀬(みなせ)川、役内(やくない)川、旭(あさひ)川(横手川)、岩見川など80余に及ぶ。1905年(明治38)現在のJR奥羽本線の開通までは、物資の輸送路として舟運が盛んであった。鵜巣(うのす)、大久保(羽後町)までは大型船が遡航(そこう)し、河口の土崎湊(みなと)は西廻航路(にしまわりこうろ)の港でもあり繁栄した。川筋のおもな河港は新屋、大正寺、刈屋野(かりやの)、大曲、角間川(かくまがわ)などで、流域の米、木材などを搬出した。雄物川はまたサケの遡上する川として知られ、川筋には多くの漁場があった。現在はサケの孵化(ふか)放流を行っている。

[宮崎禮次郎]


雄物川(旧町名)
おものがわ

秋田県南部、平鹿郡(ひらかぐん)にあった旧町名(雄物川町(まち))。現在は横手市雄物川町で、市の南西部を占める。旧雄物川町は、1955年(昭和30)沼館(ぬまだて)町を中心に里見、福地の2村と、明治村の一部が合併して成立。町名は町内を北流する雄物川にちなむ。2005年(平成17)増田、平鹿、大森、十文字(じゅうもんじ)の4町および山内(さんない)、大雄(たいゆう)の2村とともに横手市に合併。国道107号が東西に走る。沼館は清原(きよはら)氏が古代沼柵(ぬまのき)を設けた地との説があり、中世には小野寺氏の居城が置かれた。江戸時代は秋田藩領で、雄物川沿岸の深井、手取には雄物川舟運の舟着き場があった。稲作中心の農業が主産業で、養鶏、養豚、果樹栽培も行う。

[宮崎禮次郎]

『『雄物川町郷土史』(1980・雄物川町)』『『雄物川町郷土史人物編』(1995・雄物川町)』

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改訂新版 世界大百科事典 「雄物川」の意味・わかりやすい解説

雄物川 (おものがわ)

秋田県南部,湯沢市上院内南沢に源を発し,横手盆地を北流,出羽山地を先行谷で横切り,秋田平野に出て,日本海に注ぐ河川。幹川流路延長133km,全流域面積4710km2で,県内第1の河川。幹川および皆瀬川・成瀬川上流は,明確な構造谷を流れ,横手盆地中央部では,真昼山地麓の複合扇状地に押されて西偏する。盆地出口の大仙市中西部や秋田市南部四ッ小屋付近は,流路変遷が著しく,数多くの河跡湖や自然堤防が発達する。元来,土崎港(現,秋田港)から日本海に注いだが,秋田市の水害除去と,港湾の水深保持のため,1938年新屋(あらや)北部に新水路を通じ,旧水路は運河となった。戦後,流域の洪水防止,灌漑用水確保,電源開発などのため,上流に皆瀬,鎧畑,相野々,岩見,旭川のダムが構築され,大型の玉川ダムは90年に完成。雄物川は,県最大の穀倉地帯である横手盆地と秋田平野を灌漑し,また秋田市に上水・工業用水を供給している。西仙北町付近の河川改修や強酸性の玉川毒水の中和処置などが今後の課題である。水量多く緩流のため,近世には,仙北米の一大生産地帯や院内,荒川などの鉱山をひかえ,舟運はきわめて盛んであった。角間川以下(下川)は緩こう配で,大船(1000~2000俵積み)が通い,上流(上川)も鵜巣,大久保までは小船(500~600俵積み)が上下した。それより上流は80俵積みの小船で,本流は湯沢,皆瀬川は戸波まで遡(さかのぼ)った。おもな河港として,下川では河口の土崎,新屋,新波(あらわ),刈和野神宮寺,大曲,角間川,上川では大森,沼館,深井,鵜巣,大久保など。塩,魚,機械類(鉱山向け),砂糖を上げ,米を主に,豆類,材木,薪炭を下げ,角間川,大曲は土崎とともに繁栄した。1905年の奥羽本線開通により,物資輸送は鉄道に代わったため,河港は衰退した。本流域は県下最大の生産地帯,人口集積地帯であり,流域の代表的都市としては秋田市はじめ,大仙市の旧大曲市,横手市,湯沢市がある。
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雄物川(旧町) (おものがわ)

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百科事典マイペディア 「雄物川」の意味・わかりやすい解説

雄物川【おものがわ】

秋田県南東端の奥羽山脈中に発し秋田市で日本海に注ぐ川。長さ133km,流域面積4710km2。横手盆地で皆瀬川,役内川,成瀬川などが合流,大曲で八幡平(はちまんたい)に発する毒水として有名な玉川が合する。古くは仙北川と称したほか,近世貢物を運んだので御物川とも書き,上りは魚や塩,下りは仙北米や木材を運搬。大森,角間川(大仙市),大曲,神宮寺(大仙市),刈和野などの河港が栄えた。下流に秋田平野を形成,秋田港の埋積を防ぐため放水路が開かれている。流域はかつてツツガムシ病が多かった。
→関連項目秋田[県]秋田平野大曲[市]神岡[町]抱返渓谷土崎西仙北[町]雄和[町]横手盆地

雄物川[町]【おものがわ】

秋田県中南部,平鹿(ひらか)郡の旧町。横手盆地南西部にあり,町の西部は出羽山地にかかる。米作,畜産を行うほか,メロン,トマト,リンゴなどを産する。中心は沼館。2005年10月平鹿郡十文字町,大森町,平鹿町,増田町,山内村,大雄村と横手市へ編入。73.60km2。1万1402人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「雄物川」の意味・わかりやすい解説

雄物川
おものがわ

秋田県南東部,横手市西部の旧町域。横手盆地の西にあり,雄物川に臨む。 1955年沼館町と福地村,里見村の2村および明治村の一部が合体して雄物川町が発足。同年館合村の一部,1957年十文字町の一部を編入。 2005年横手市,増田町,平鹿町,大森町,十文字町,山内村,大雄村の7市町村と合体して横手市となった。戦国時代には小野寺氏の支城があった。水田が多く,米の単作地帯。山麓部では,米作に畜産,果樹や野菜の栽培などの複合経営が行なわれる。周辺の農山村から野菜,山菜などが運ばれ朝市が開かれる。中心集落の沼館には中世の豪族の館といわれる沼ノ柵跡がある。

雄物川
おものがわ

秋田県中部を流れる川。全長 133km。古くは御物川とも書いた。宮城県境の虎毛山と神室山北斜面付近に発し,高松川,皆瀬川を合わせて横手盆地西端を北流,大仙市神宮寺付近で,最大の支流玉川と合流する。その後秋田平野に出て,土崎付近で日本海に注ぐ。流水量は融雪時が最大。河口付近では降雨時にしばしば逆流,停滞し,浸水した。河口の港を保護し,浸水を防ぐために 1938年新屋浜に放水路を建設。河川は浅く,勾配はゆるやかで,古くから仙北米や木材の輸送に利用された。刈和野,神宮寺,大曲などは当時の河港であった。また横手盆地や秋田平野の水田地帯を潤す大動脈で,秋田湾新産業都市の工業用水ともなる。

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