日本歴史地名大系 の解説
川越御領分村々秋元様御時(秋元家時代郷帳)
かわごえごりようぶんむらむらあきもとさまおんとき
四冊合綴
写本 奥貫五平次
解説 宝永元年から明和四年まで川越に在城した秋元家時代の郷帳。拝領高五万石とあるので正徳元年に一万石を加増される以前のもので、村名・村高は宝永二年の秋元家領分村高写(館林市立図書館秋元文庫)にほぼ一致する。「川越市史」史料編では宝永二年と推定しているが、写本末尾には享保一八年の奥書(塗抹)があり、筆写年は下るものとみられる。巻頭に宝永二年三月の幕府代官野田秀成の領地引渡証文を載せ、以下同四年までの領内の戸口・年貢の集計、朱印寺、供米を奉納した神社などが列挙される。村の配列は郡ごとのまとまりを欠いているが、入間郡八五ヵ村・高麗郡一八ヵ村・比企郡三四ヵ村・埼玉郡一一ヵ村の合計一四八ヵ村である。各村の記述は詳細で、村高・新田并前々検地出高・田畑反別・並木・反当年貢高などが記され、河岸場では船数・船役などの記載もある。なお秋元氏が正徳元年に六万石となってからの郷帳としては、享保一九年写の川越領村高其外書抜帳(川越市立図書館蔵)がある。
活字本 「川越市史」史料編近世III
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報