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工藤治兵衛 くどう じへえ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

工藤治兵衛 くどう-じへえ

?-1665* 江戸時代前期の農民。
伊予(いよ)(愛媛県)西条藩領中奥山村の庄屋。寛文4年同村など5ヵ村の総代となり,買米にたよってきた年貢を米納から銀納にかえるよう藩庁に強訴,11月28日死罪となった。藩主一柳直興(ひとつやなぎ-なおおき)の改易(かいえき)ののち,10年銀納がゆるされた。名は次平,治平とも。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

工藤治兵衛

没年:寛文4(1664)
生年:生年不詳
江戸初期の義民。伊予国(愛媛県)西条藩領(一柳家)新居郡の内,黒瀬村,大保木山村,中奥山村,西之川山村,東之川山村などは米穀生産が少なく,山稼ぎに依存した村落であった。しかし,年貢は米納が義務付けられていた。そのため買米に頼り年貢の納入を行う必要があった。寛文4(1664)年,米価騰貴等により買米による年貢納入が困難となった。5カ村は藩庁に年貢,諸役銀納を要求する強訴を行った。中奥山村名主工藤治兵衛は,その際の頭取のひとりである。藩は,徒党におよんだ張本として,彼を死罪に処した。その後,同領は松山藩の預地となった。5カ村は松山藩に訴願を行い,10年に銀納の要求は貫徹された。<参考文献>『愛媛県編年史』6巻

(須田努)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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