朝日日本歴史人物事典 「工藤治兵衛」の解説
工藤治兵衛
生年:生年不詳
江戸初期の義民。伊予国(愛媛県)西条藩領(一柳家)新居郡の内,黒瀬村,大保木山村,中奥山村,西之川山村,東之川山村などは米穀生産が少なく,山稼ぎに依存した村落であった。しかし,年貢は米納が義務付けられていた。そのため買米に頼り年貢の納入を行う必要があった。寛文4(1664)年,米価騰貴等により買米による年貢納入が困難となった。5カ村は藩庁に年貢,諸役銀納を要求する強訴を行った。中奥山村名主工藤治兵衛は,その際の頭取のひとりである。藩は,徒党におよんだ張本として,彼を死罪に処した。その後,同領は松山藩の預地となった。5カ村は松山藩に訴願を行い,10年に銀納の要求は貫徹された。<参考文献>『愛媛県編年史』6巻
(須田努)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報