巨勢相覧(読み)こせのおうみ

朝日日本歴史人物事典 「巨勢相覧」の解説

巨勢相覧

生年生没年不詳
平安中期の宮廷絵師。相見とも。巨勢金岡の子とされる。延喜1(901)年,讃岐少目従八位下になる(『大間成文抄』4)。『源氏物語』「絵合」に,絵は巨勢相覧,手(詞書)は紀貫之(945年没)の「竹取物語」の絵巻に,絵は飛鳥部常則,手は小野道風の「宇津保物語」の絵巻を合わせて争うくだりがあり,絵の名手としてその名があらわれている。金岡の姓を継ぎ,初期の絵所画師であったことが知られ,巨勢派の伝統を次代の公忠,公望(公茂)に伝えたとみられる。作品は現存しない。<参考文献>堀直格扶桑名画伝』30巻

(長谷川稔子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「巨勢相覧」の解説

巨勢相覧 こせの-おうみ

?-? 平安時代中期の画家
巨勢金岡(かなおか)の子といわれる。「源氏物語」絵合の巻に文章は紀貫之(きの-つらゆき),挿絵は相覧という「竹取物語絵巻」が登場する。延喜(えんぎ)元年(901)絵所(えどころ)絵師として讃岐少目(さぬきのすないさかん)に任じられた。名は相見ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の巨勢相覧の言及

【巨勢派】より

…中国的主題による唐風の絵画を日本化するさきがけとなった金岡は,また文人貴族と交わり,画家として名声を高めた。その後継者の巨勢相覧(おうみ)は9世紀から10世紀にかけて活躍し,901年(延喜1)絵所の絵師に任ぜられた(《除目大成抄》)。《源氏物語》の〈絵合〉では,《竹取物語絵巻》を彼が描き紀貫之が詞を書いたとされている。…

※「巨勢相覧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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