市之町中浜(読み)いちのちようなかはま

日本歴史地名大系 「市之町中浜」の解説

市之町中浜
いちのちようなかはま

[現在地名]堺市市之いちの西にし一丁

市之町の西、中浜筋を挟む両側町。安土桃山時代の茶人松江宗訥は市之町中浜の住人と伝え(数奇者名匠集)、喜多流謡曲を創始した喜多七太夫は当地に生れ、桜之さくらの町に住した。宝永四年(一七〇七)堺町絵図(堺市立中央図書館蔵)以降の絵図には「市之町中浜」と記されているが、元禄二年(一六八九)堺大絵図には「市之中浜町」とあり、東頬一二筆・西頬三筆の町家で町並を構成、町会所は東の西六間にしろつけん筋側と中浜筋側各中央に所在。同六年以前の四辻制では南本郷本町分(同八年堺手鑑)、南北二組制以降は南組中浜筋分に所属(堺市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む