市柳村
いちやなぎむら
[現在地名]保原町
一丁目・市柳町・
上野崎・
京門・
桑田・
下野崎・
千刈・
二丁目・
野崎・
前田町・
早稲田など
中村の南に位置し、南は在市柳村、西は上保原村。一柳とも記し、町市柳村とも称された。天正一四年(一五八六)九月二三日の伊達政宗充行状(伊達家文書)に保原のうちとして「市柳六千苅、同畠屋敷」とみえ、政宗は金山(現宮城県丸森町)の替地として、同地などを中島宗求に与えている。近世初期は在市柳村も含み、文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高三八二石余。近世初期の邑鑑によると免三ツ五分、家数一一(役家五・肝煎一・脇家五)、人数三四、役木として桑と楮少しがある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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