日本歴史地名大系 「下保原村」の解説
下保原村
しもほばらむら
文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高二千九四石余。近世初期の邑鑑によると高二千二三四石余、免三ツ三分、家数一五三(役家五〇、肝煎・小走四、諸職人・寺・山伏・脇家九九)、人数四六七、役木として桑・紅花、楮少しがある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高二千九四石余。近世初期の邑鑑によると高二千二三四石余、免三ツ三分、家数一五三(役家五〇、肝煎・小走四、諸職人・寺・山伏・脇家九九)、人数四六七、役木として桑・紅花、楮少しがある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
《モスクワに遠征したナポレオンが、冬の寒さと雪が原因で敗れたところから》冬の厳しい寒さをいう語。また、寒くて厳しい冬のこと。「冬将軍の訪れ」《季 冬》...
1/16 デジタル大辞泉プラスを更新
1/16 デジタル大辞泉を更新
12/10 小学館の図鑑NEO[新版]魚を追加
10/17 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
8/22 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新