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蠣崎波響 かきざき はきょう

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美術人名辞典の解説

蠣崎波響

江戸後期の画家。陸奥生。名は広年、字は世祐、通称は将監。初め宋紫石に学び、のち大原呑響に、更に円山応挙を師とする。山水・人物・花鳥を能くする。文政9年(1826)歿、63才。

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デジタル大辞泉の解説

かきざき‐はきょう〔‐ハキヤウ〕【蠣崎波響】

[1764~1826]江戸後期の画家。名は広年。松前藩主松前資広の五男。家老蠣崎家の養子となる。円山応挙に師事。「夷酋列像」は肖像画の傑作とされる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

蠣崎波響 かきざき-はきょう

1764-1826 江戸時代後期の画家,武士。
宝暦14年5月26日生まれ。蝦夷(えぞ)地(北海道)松前藩主松前資広(すけひろ)の5男で,蠣崎家の養子となる。江戸で建部綾足(たけべ-あやたり),宋紫石(しせき)にまなび,のち大原呑響(どんきょう)に入門。寛政3年(1791)円山応挙に師事した。家老として陸奥(むつ)梁川(やながわ)(福島県)に転封された藩主の松前復帰につとめた。文政9年6月22日死去。63歳。名は広年。字(あざな)は世祐。通称は将監。別号に杏雨。作品に「釈迦涅槃図」「夷酋列像」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

蠣崎波響

没年:文政9.6.22(1826.7.26)
生年:明和1.5.26(1764.6.25)
江戸中・後期の画家。名は広年,字は世祐,別号は杏雨。蝦夷(北海道)松前藩12代松前資広の5男。蠣崎家の嗣子となる。10歳ごろ江戸に出て,建部凌岱,のちに宋紫石について南蘋派の画を学ぶ。天明3(1783)年20歳のとき,松前にきた大原呑響に師事。寛政3(1791)年京都に上った折,円山応挙につき,画風を南蘋派から円山派へ大きく変化させた。文化4(1807)年松前氏は陸奥国梁川(福島県)に転封となり,家老であった波響は領地回復に努力,文政4(1821)年復領にこぎつけた。この時期,資金調達のため,精力的に制作。凡作もあるが「釈迦涅槃図」(1811,函館高竜寺蔵),「名鷹図」(1815,妻沼家蔵)など優作も多い。代表作は寛政2年27歳のときアイヌの首長を描いた「夷酋列像」(ブザンソン市立美術館蔵)。<参考文献>中村真一郎『蠣崎波響の生涯』,北海道立函館美術館『蠣崎波響とその時代展/図録』,波響論集刊行会編『波響論集』

(河野元昭)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

かきざきはきょう【蠣崎波響】

1764‐1826(明和1‐文政9)
江戸後期の画家。名は広年,字は世祐,将監と称す。蝦夷(北海道)松前藩12代松前資広の五男に生まれ,家老蠣崎広武の嗣子となる。江戸の藩邸で建部寒葉斎(凌岱),宋紫石に画技を学ぶ。1783年(天明3)松前に来遊した大原呑響の強い影響を受け,91年(寛政3)上洛して円山応挙に入門した。1807年(文化4)松前藩は岩代(福島県)梁川に転封,波響は家老として復帰に努めるとともに,創作活動を充実させた。化政期における地方文化の興隆を象徴する画家の一人である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蠣崎波響
かきざきはきょう
(1764―1826)

江戸後期の画家。松前藩主道広の弟で蠣崎家の養子となる。名は広年、字(あざな)は世裕、波響または十春亭花隠と号した。初め江戸で、俳人・国学者・小説家としても有名な南蘋(なんぴん)派の建部綾足(たけべあやたり)(涼袋(りょうたい))に学ぶ。のち宋紫石(そうしせき)に入門、京に上り円山(まるやま)四条派の影響を受け、同じ武士出身の画家長沢芦雪(ろせつ)とも交わりがあった。現実を直視した鋭い感覚にあふれた画風は近世絵画史上異色の存在といえる。代表作に青年期の連作『夷酋列像(いしゅうれつぞう)』、晩年の大作『釈迦涅槃図(しゃかねはんず)』などがある。また漢詩を六如上人に学び、『梅痩柳眼村舎遺稿』上下2巻がある。[永井信一]

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