日本歴史地名大系 「市谷山伏町」の解説 市谷山伏町いちがややまぶしちよう 東京都:新宿区旧牛込区地区市谷山伏町[現在地名]新宿区市谷山伏町など市谷柳(いちがややなぎ)町から東へ牛込御箪笥(うしごめおたんす)町や同岩戸(いわと)町方面に向かう通り(現大久保通)の北側一帯の武家地・常敬(じようけい)寺などを合せ明治五年(一八七二)に起立。町名は、江戸時代に当地から東方にかけての一帯を里俗に牛込山伏町とよんだことによる。成立時には西は市谷柳町、南は同甲良(こうら)町、東は牛込北山伏(うしごめきたやまぶし)町、北は同南榎(みなみえのき)町・同弁天(べんてん)町。寛文新板江戸絵図では町域は甲斐徳美藩伊丹氏の屋敷などであった。その後、伊丹氏の屋敷は移転、跡地は元禄一一年(一六九八)には林大学頭や旗本の屋敷、旗組・留守居同心などの大縄地となっている(沿革図書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by