コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

八丁堀 はっちょうぼり

7件 の用語解説(八丁堀の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

八丁堀
はっちょうぼり

東京都中央区中部の地区。江戸時代,ここに8丁 (870m) にわたる掘割をつくったのが地名の由来で,町奉行所与力同心の組屋敷があった。現在は商業地。 JR京葉線,東京地下鉄日比谷線が通る。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

はっちょうぼり〔ハツチヤウぼり〕【八丁堀】

東京都中央区の地名。江戸時代、隅田川に通じる堀があり、のち町奉行所の与力同心が居住した。現在は商業地。
広島市中区の地名。商店街。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

八丁堀【はっちょうぼり】

東京都中央区中部の一地区。寛永年間長さ8町の掘割を作ったのが地名の由来。江戸時代は町奉行所の与力・同心の組屋敷があった。現在は商社や印刷工場などが多い。
→関連項目与力

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

はっちょうぼり【八丁堀】

東京都中央区の地名。寛永年間(1624‐44)に通船のため京橋川から隅田川に通じる堀が開かれ,長さが8丁あったので八丁堀と名づけられたという。明治以後,堀は桜川と改称されたが,昭和40年代に一部を残して埋め立てられた。八丁堀には,元禄年間(1688‐1704)以降江戸町奉行所の与力・同心約300人の組屋敷があり,与力は〈八丁堀の旦那〉とよばれ,300坪前後の土地を拝領していた。冠木(かぶき)門などを構えて敷地の奥に住み,一部を儒者や医者に貸していた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

はっちょうぼり【八丁堀】

東京都中央区の地名。慶長年間(1596~1615)に京橋川の先に掘られた掘割(八丁あったという)に由来する名で、のちその北側の地域。町奉行の与力・同心の屋敷があった。 「 -の旦那だんな
江戸、神田にあった掘割。今川橋がかかる。神田八丁堀。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本の地名がわかる事典の解説

〔東京都(広島県)〕八丁堀(はっちょうぼり)


東京都中央区の一地区。江戸時代につくられた掘割の名にちなむ。町奉行(まちぶぎよう)配下の与力(よりき)・同心(どうしん)の居住区があった。②広島市中(なか)区にある同市の中心繁華街・ビジネス地区。南部の相生(あいおい)通り沿いにデパート・銀行支店や大手企業などがある。江戸時代は広島城外堀(そとぼり)に沿う武家屋敷地。大正初期、外堀跡に電車が通じ、停留所前が市内有数の盛り場に発展。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

八丁堀
はっちょうぼり

東京都中央区のほぼ中央部にある町名。寛永(かんえい)年間(1624~1644)隅田川に通じる舟便のため堀が掘削され、堀の長さが八町(丁)あったための呼称といわれる。「寛永図」では寺院と武家屋敷があり、元禄(げんろく)年間(1688~1704)には町奉行(ぶぎょう)所の与力(よりき)、同心(どうしん)の組屋敷が支給され、俗に八丁堀の旦那(だんな)とよばれ、町人の畏敬(いけい)の的になっていた。しかし、実際には薄給を補うため敷地の約半分を町人(医者、儒者など)に貸すなどしていた。現在は中小ビルの多い商業地域になっている。東京メトロ日比谷(ひびや)線の八丁堀駅がある。[菊池万雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の八丁堀の言及

【同心】より

…このうち最も著名な江戸の町奉行配下の同心(町同心)について述べれば,定員は中期で南北各100名(幕末には各140名),身分は御家人で,形式上は一代抱えであるが,事実上世襲の職であった。京橋の八丁堀にある組屋敷に居住し,通常30俵二人扶持を給せられた。同心の職掌は,定町廻(じようまちまわり),隠密廻,臨時廻(以上を三廻りという)のように,緋房の十手を持って町中を巡回し犯罪捜査,犯人逮捕にあたる者のほか,年番方(役所全般の取締りや金銭出納),例繰方(刑事判例の調査),吟味方(裁判の審理),牢屋見廻(牢屋の事務監督),赦帳撰要方人別調掛(恩赦),町火消人足改(町火消の指揮)等,警察を中心に行刑,裁判から市政一般にわたる多くの分課があった。…

【与力】より

…幕臣たる与力の身分は,御目見(おめみえ)以下すなわち御家人であるが,石高200石と騎乗の特権を与えられていた。住居は同心と同じく京橋八丁堀に組屋敷を与えられ,このため八丁堀の旦那と呼ばれた。形式上は一代抱えであるが,事実上は世襲の職であって,13,14歳で見習として出仕したのち,与力に採用され,しかも他への転勤はなく一生町奉行所に勤務するものであったから,職務にはよく精通していた。…

※「八丁堀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

八丁堀の関連キーワード東京都中央区明石町東京都中央区入船東京都中央区勝どき東京都中央区新川東京都中央区新富東京都中央区築地東京都中央区佃東京都中央区晴海東京都中央区湊東京都中央区八重洲

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

八丁堀の関連情報