市鹿野村(読み)いちかのむら

日本歴史地名大系 「市鹿野村」の解説

市鹿野村
いちかのむら

[現在地名]日置川町市鹿野

北は里谷さとだに村、小谷こだに(現大塔村)、南は小川こがわ村、東は北谷きただに上露こうづい中野俣なかのまた佐田さだ古屋ふるや合川ごうがわ(現大塔村)の各村、西は小房おぶさ村・玉伝たまで村・おお村。日置川の南部小盆地に集落を営む。小名たきは村の北東部にあたり、日置川に沿う。「続風土記」に「市鹿野は一の野の義ならんか、荘中の中此地平田多し、此村名の起る所なり」と記される。

慶長検地高目録には「一荷野村」と記され、村高一七八石余、小物成四・五四九石。周参見組に属し、「続風土記」によれば家数一四七、人数五八二。宝永元年(一七〇四)市鹿野御仕入方役所が開かれ、享保三年(一七一八)にいったん閉鎖されたが、同九年再開された(南紀徳川史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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