西牟婁郡(読み)にしむろぐん

日本歴史地名大系 「西牟婁郡」の解説

西牟婁郡
にしむろぐん

面積:九五三・四九平方キロ
白浜しらはま町・上富田かみとんだ町・中辺路なかへち町・大塔おおとう村・日置川ひきがわ町・すさみ町・串本くしもと

県南部に位置し、北は紀伊山地を隔てて日高郡および奈良県吉野郡、東は東牟婁郡西北田辺市。南は熊野灘、西は紀伊水道に面する。紀伊半島の西南端を占め、半島のほぼ全体を覆う紀伊山地に、富田・日置両河川が貫流蛇行し、海岸はリアス海岸や海岸段丘がみられる。西牟婁郡は明治一二年(一八七九)従来の牟婁郡のうち、和歌山県に含まれた地域が東西に分けられ成立した(→牟婁郡

〔原始〕

白浜町の海辺、富田・日置両河川流域、串本町の海辺には縄文遺跡が集中する。串本町大島の大森山おおもりやま丘陵遺跡や白浜町の十九渕つづらふち遺跡から早期の石器出土。縄文前期から晩期にかけての遺跡に、日置川上流にある大塔村嶋野しまの遺跡、白浜町の横浦よこうら遺跡その他があり、縄文中期土器を出す遺跡は串本町の大水崎おおみさき遺跡など五ヵ所以上を数える。縄文後期・晩期の遺跡も白浜町の瀬戸せと遺跡・たいら遺跡、上富田町の平見ひらみ遺跡など一〇ヵ所以上ある。弥生時代の遺跡も各河川の河口付近や海辺に多くみられる。串本町の笠嶋かさしま遺跡は海岸に接した低湿地で、多くの木製漁労具・建築材・船底材などとともに弥生後期・末期の土器が出土し、弥生時代の漁村集落が崩落したものと考えられている。富田川下流から河口付近にかけての丘陵地は江戸時代末期以降しばしば銅鐸が出土したといわれるが、上富田町の田熊たくま遺跡から出土した破片が現存するのみである。紀伊水道に面した海辺には製塩土器を出土する遺跡が多い。

古墳およびその時代の遺跡もまた、白浜町の北岸や富田川下流から河口付近に集中し、西牟婁郡全体の約六〇ヵ所のうち、四五ヵ所がこの地域にある。中期の白浜町権現平ごんげんだいら古墳群などがあり、海食によって出来た岩陰を岩陰墓に利用した遺跡も多くみられる。この地域以南には群集墳は認められないが、すさみ町の上ミ山かみやま古墳などの後期古墳が点在する。古墳時代の祭祀遺跡には海上交通の要所にあたる白浜町の坂田山さかたやま、串本町の向屋敷むかいやしき・大水崎などがある。

〔古代〕

牟婁郡には牟婁・岡田おかだ栗栖くるす三前みさき神戸かんべの五郷があったが(「和名抄」東急本)、当郡域には牟婁郷の一部が白浜町の北部に、岡田郷が富田川中・下流域に、栗栖郷中辺路町大塔村に、三前郷の一部がすさみ町・串本町に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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