常住寺跡(読み)じようじゆうじあと

日本歴史地名大系 「常住寺跡」の解説

常住寺跡
じようじゆうじあと

[現在地名]善通寺市碑殿町

鎮護山と号し、江戸時代は臨済宗京都妙心寺末寺であった。もと観音寺(かんおんじ)にあったが、東福寺派の僧桃岩が興昌(こうしよう)寺(現観音寺市)の住職であったとき当寺をその支配下に入れようとした。しかし試みは挫折して結局鋼峯に譲られることとなった。当時幕府では新寺建立に関する調査を行っており、丸亀藩主京極高豊は寺社奉行に届出て許可を受けたうえで鋼峯に依頼し、元禄四―五年(一六九一―九二)吉原(よしわら)村内碑殿(ひどの)に当寺を移させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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