碑殿村(読み)ひどのむら

日本歴史地名大系 「碑殿村」の解説

碑殿村
ひどのむら

[現在地名]善通寺市碑殿町

吉原よしわら村の北西天霧あまぎり山の東麓にある。南方三野みの郡との境にある鳥坂とつさか山では元弘三年(一三三三)五月に合戦が行われている(同年六月一七日「祝安親軍忠状」三嶋家文書)多度たど郡に属し、寛永国絵図に「吉原樋殿」とみえ吉原郷に所属。元禄七年(一六九四)丸亀藩領から多度津藩領となり、吉原村から分離して一村となる。高一四二石余の枝村天満寺てんまんじ村が付属していた(西讃府志)。寛延三年(一七五〇)の西讃百姓一揆では、一揆勢力の一部である多度津藩三井組諸村の村民が、天霧山に一時立籠っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む