平位庄(読み)ひらいのしよう

日本歴史地名大系 「平位庄」の解説

平位庄
ひらいのしよう

揖保いぼ川の支流中垣内なかがいち川流域に比定されるが未詳。平井庄とも記される。隣接する桑原くわばら庄とともに最勝光さいしようこう(現京都市東山区)領。建保四年(一二一六)八月日の後鳥羽院庁下文案(大徳寺文書、以下特記しないものは同文書)に「播磨国平位庄」とみえ、当庄は藤原教成(丹後局高階栄子の子)領であったが、妹の浄土じようど(現京都市左京区)三位局顕蓮領の小野おの(山科小野庄、現京都市山科区)と交換、後鳥羽院から顕蓮領として公認された。後白河院の寵妃高階栄子から教成に伝領されたとみられる。

顕蓮は貞応元年(一二二二)六月二五日当庄を息の快真に譲り(尼顕蓮譲状案)、快真は宝治元年(一二四七)一一月二一日一期の後は寿王丸(快源)に譲ることを遺言して範祐に譲った(僧快真置文案)。しかし範祐は遺言を守らず母の尼教心(快源継母)に譲与してしまった。快源は快真置文を提示して自身の相伝領であると訴えて認められ、弘安七年(一二八四)一〇月安堵の院宣を受け、翌八年一〇月一〇日に三位法印泰豪に譲与した(僧快源譲状案)。泰豪は正安元年(一二九九)一〇月一六日、当庄の惣庄方領家職・預所職の各半分を息の盛兼と娘の治部卿局に譲り(盛兼一期の後は惣領とする治部卿局に譲る)、ほかに新大夫局に譲られた別納の地である佃方三町があった(僧泰豪譲状案)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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