日本歴史地名大系 「徳禅寺」の解説
徳禅寺
とくぜんじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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…上・下両荘に分かれ,上荘は上村・坂本・中村・下村,下荘は知見・三重・田村の各村から成っていた。伊予内侍ののち,領家職は娘の大姫御前,その子藤原実忠,実忠外孫実盛へと伝えられ,以後ほとんど村ごとにきわめて複雑な伝領の経過を示したが,やがて14世紀半ばから後期に至り,それらの大部分は大徳寺の徳禅寺徹翁義亨に伝えられた。本家職も蓮華王院が終始唯一の存在ではなかったらしく,ある時期には亀山・後宇多両上皇や万秋門院(藤原子)が本家的存在であったことを示す史料があり,1265年(文永2)の若狭国惣田数帳には,名田荘57町6段200歩の本家が円満院とある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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