日本歴史地名大系 「龍野市」の解説 龍野市たつのし 面積:六九・七五平方キロ(境界未定)県の南西、内陸部に位置し、揖保(いぼ)川下流域の山地と支流林田(はやしだ)川が揖保川に合流する付近の沖積平野部に立地する。市域は東西一二・二キロ、南北一一・一キロ。標高は両河川の合流点付近が最も低く約七メートル、最高は大蔵(おおくら)山山頂の五二〇・一メートル。西部は西播山地の東部にあたり、菖蒲谷(しようぶだに)から亀山(きのやま)の頂上部には準平原地形が分布、また亀山を水源とする中垣内(なかがいち)川流域は緩やかな扇状地を形成している。揖保川以東の平野部は播磨平野の西端部にあたり、中臣(なかじん)山など独立山塊を取囲んで氾濫原を形成している。北東は姫路市、南東は揖保郡太子(たいし)町、南は姫路市・揖保郡御津(みつ)町・同郡揖保川(いぼがわ)町、西は相生市、北は揖保郡新宮(しんぐう)町と接する。市域南部をJR山陽本線・山陽新幹線が通過している。また東部から中心部を経て新宮町へ通じるJR姫新(きしん)線には本竜野(ほんたつの)駅・東觜崎(ひがしはしさき)駅がある。道路は東西に国道二号と山陽自動車道が通り、龍野インターチェンジ・龍野西インターチェンジが設けられている。また国道二号から分岐し岡山県津山市方面へ通じる国道一七九号、姫路から鳥取方面へ通じる同二九号などが通っている。市名は江戸時代の城下町龍野町の呼称を継承している。〔原始・古代〕旧石器時代の遺跡は大住寺皿池(だいじゆうじさらいけ)遺跡・龍子向(りゆうこむか)イ山(やま)遺跡があり、ナイフ形石器が採集されている程度である。縄文時代では小犬丸(こいぬまる)遺跡をはじめ六ヵ所が知られる。片吹(かたぶき)遺跡では中期末―後期の竪穴住居跡五棟・土壙五〇〇基余りが発見されている。弥生時代の遺跡は前期の土壙が発掘された門前(もんぜん)遺跡、銅鐸形土製品が出土した尾崎(おさき)遺跡、拠点的集落とみられる横内(よこうち)遺跡などがある。近年発掘された寄井(よりい)遺跡では中期の竪穴住居跡一〇棟、養久山(やくやま)・前池(まえいけ)遺跡では中期後葉―末葉の竪穴住居跡二〇棟が発見されている。とくに養久山・前池遺跡では掘立柱建物跡の近くから四頭の鹿、三棟の建物、一人の人物が描かれた絵画土器が発見されている。また住居跡内から巨大な水銀精製石臼が出土している。弥生墳墓群は赤山(あかやま)・白鷺山(しらさぎやま)など数多く分布する。なかでも白鷺山墳墓群では小型製鏡や後漢製内行花文鏡の研磨鏡片などが出土するなど、北部九州地域の葬制が伝わっている。古墳時代中期では顕著な古墳はないが、後期になると急増する。横穴式石室導入前とみられる長尾(ながお)タイ山(やま)古墳群、この地域最後の前方後円墳である西宮山(にしみややま)古墳などがある。西宮山古墳は方形玄室で穹窿形の石室を構築し、垂飾付耳飾・金銅製馬具などの多量の副葬品が出土している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by